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新温泉町:町名問題 「新温泉」残った 検討委方針、町長覆す <毎日新聞但馬版 2012/01/19>を編集
◇「住民投票を」「混乱避けた」苦渋の決断に賛否
新温泉町で変更を巡り論争になっていた町名について、町長の岡本英樹は2012/01/18、変更しない方針を明らかにした。議会審議や住民投票をするべきだったという批判と、混乱を避ける苦渋の決断だったと評価する意見が、町議や住民から渦巻いた。
町長の諮問機関 町名検討委員会は2011/11、「町名を変えるべきだ」とする最終報告書を提出していた。岡本は「住民や対外的に新温泉町の名称が定着した。住民の間にしこりを生じさせないことに重点を置いて慎重に検討した」と説明、検討委の方針を覆した。
検討委員会会長を務めた副議長の西村銀三は「突然の一方的な表明で決着を図るとは、安易な道を選んだと言わざるを得ない。町名を変えないことで、旧町間の住民対立は永遠に続くだろう」と厳しく批判する。検討委員だった町議の西村敏弘も「この問題は、町名を決めた際の住民合意が不十分だったことがそもそもの原因。変更しないにしても住民投票などで結論を出すべきだった」と話す。
新温泉町浜坂の男性(73)は「例えば湯浜町など、浜坂の地名が入った新町名を期待していた。町名変更問題は議案として町議会に提案してほしかった」と落胆している。一方、検討委員会で「変更不要」を主張した町議の西村公子は「町民の混乱を避けるための苦渋の決断だったと思う。検討委の中でも意見は分かれており、結論が報告書と違っても問題ない」と評価する。中辻区長の男性(63)は湯村温泉の観光客の推移を気にかけ「ほっとした。町名から温泉が消えたら大問題だと思い心配していた」と喜んだ。
新温泉町は平成の大合併で2005年、旧温泉町と旧浜坂町が合併して誕生した。合併協定書に「町名は合併後検討する」というただし書きが盛り込まれていた。総務省によると、平成の大合併でできた自治体が名前を変えた例はなく、新温泉町の方針が注目されていた。
岡本は毎日新聞の取材に「検討委の報告書と違った結論だが、総合的に判断した。検討委で議論したことで、合併時の課題だった町名問題に対するけじめがついた。今後は町民憲章や町の歌をつくり、町としてのまとまりを強めたい」と語った。
◇「住民投票を」「混乱避けた」苦渋の決断に賛否
新温泉町で変更を巡り論争になっていた町名について、町長の岡本英樹は2012/01/18、変更しない方針を明らかにした。議会審議や住民投票をするべきだったという批判と、混乱を避ける苦渋の決断だったと評価する意見が、町議や住民から渦巻いた。
町長の諮問機関 町名検討委員会は2011/11、「町名を変えるべきだ」とする最終報告書を提出していた。岡本は「住民や対外的に新温泉町の名称が定着した。住民の間にしこりを生じさせないことに重点を置いて慎重に検討した」と説明、検討委の方針を覆した。
検討委員会会長を務めた副議長の西村銀三は「突然の一方的な表明で決着を図るとは、安易な道を選んだと言わざるを得ない。町名を変えないことで、旧町間の住民対立は永遠に続くだろう」と厳しく批判する。検討委員だった町議の西村敏弘も「この問題は、町名を決めた際の住民合意が不十分だったことがそもそもの原因。変更しないにしても住民投票などで結論を出すべきだった」と話す。
新温泉町浜坂の男性(73)は「例えば湯浜町など、浜坂の地名が入った新町名を期待していた。町名変更問題は議案として町議会に提案してほしかった」と落胆している。一方、検討委員会で「変更不要」を主張した町議の西村公子は「町民の混乱を避けるための苦渋の決断だったと思う。検討委の中でも意見は分かれており、結論が報告書と違っても問題ない」と評価する。中辻区長の男性(63)は湯村温泉の観光客の推移を気にかけ「ほっとした。町名から温泉が消えたら大問題だと思い心配していた」と喜んだ。
新温泉町は平成の大合併で2005年、旧温泉町と旧浜坂町が合併して誕生した。合併協定書に「町名は合併後検討する」というただし書きが盛り込まれていた。総務省によると、平成の大合併でできた自治体が名前を変えた例はなく、新温泉町の方針が注目されていた。
岡本は毎日新聞の取材に「検討委の報告書と違った結論だが、総合的に判断した。検討委で議論したことで、合併時の課題だった町名問題に対するけじめがついた。今後は町民憲章や町の歌をつくり、町としてのまとまりを強めたい」と語った。
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