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神戸に関連する/しない新聞記事をスクラップ。神戸の鉄ちゃんのブログは分離しました。人名は全て敬称略が原則。

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神戸出身 島田叡 元沖縄県知事「沖縄の恩人」として遺骨捜索へ <神戸新聞 2012/07/10 08:10>を編集

 神戸市出身で、第2次世界大戦中の沖縄戦当時に沖縄県知事を務めた島田叡(あきら)の遺骨捜索が、那覇市の財団法人「島守の会」の有志らにより、年内にも実施されることが分かった。
 島田は沖縄戦の舞台となった糸満市摩文仁付近で消息を絶ち、43歳で亡くなったとされるが、その場所や遺骨は見つかっていない。沖縄県民に温かい視線を向け、戦後67年となる今も沖縄で島守と慕われる島田の最期に迫れるかが注目される。

 島田は1901年(明治33年)、神戸市須磨区生まれ。旧制神戸二中(現・兵庫高校)などを経て東京帝国大学(現・東京大学)から旧・内務省に入った。最後の官選知事として1945/01、沖縄県知事に就任。米軍の沖縄上陸が迫る中、「俺が死にたくないから、誰か代わりに行って死ねとはいえない」と言って受託したという。
 知事就任後は沖縄県民の本土疎開や食糧調達に奔走し、多くの命を救った。国内最大規模の地上戦となった沖縄戦では、壕を転々として執務を続け、1945/06以降、摩文仁周辺で消息を絶った。自決したとされる。
 1970年代、沖縄戦生存者の証言を基にテレビ局などが調査したが、今もどこで最期を迎えたかは判明していない。

 島田や沖縄県職員の慰霊碑を管理する「島守の会」有志が足取りを追い続け、2008年、沖縄戦で島田の遺体を見たという元軍人が、その場所を語ったことを伝えるメモを発見。さらに、地元住民の証言などを重ねた結果、最近になって摩文仁の平和祈念公園内にある戦没者記念碑「平和の礎」南側にある井戸の近くの壕で亡くなった可能性が高いことを突き止めた。

 捜索は神戸市中央区で2012/07/08に開かれた島田をしのぶ催しで、島守の会の活動を知るノンフィクション作家が明らかにした。
 予定地は草木が生い茂り、ハブ出没の危険性もあるため、秋から冬にかけて捜索を始める。「島守の会」事務局長の島袋愛子(65、那覇市)は「沖縄県民のために命を懸けた島田の遺骨を探し出すことが、県民としての恩返しになる」と話す。

 沖縄県と兵庫県は1972年、島田のつながりから友愛提携を結び、今年で40周年を迎えた。兵庫高校OBでつくる「武陽会」副理事長の勝順一(64)は「捜索が決まれば、先輩のために何らかの形でお手伝いしたい」と話している。
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