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神戸に関連する/しない新聞記事をスクラップ。神戸の鉄ちゃんのブログは分離しました。人名は全て敬称略が原則。

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【復興日本】第3部 120日後の現実(2) 取り残された3セク鉄道 <MSN産経 2011/07/13 12:22>を編集
■三陸鉄道

 夕暮れの駅に2両編成の列車が、作動しない信号機に代わる職員の手旗信号に導かれてゆっくりと到着した。車両から降りてきた高校生を励ますように警笛を鳴らし、列車は瓦礫の町を北へ向かっていった。岩手県宮古市にある三陸鉄道(三鉄)北リアス線 田老駅の光景だ。

 宮古~久慈を結ぶ北リアス線(71km)のうち、田老駅を含む宮古~小本(25.1km)間が復旧したのは2011/03末だった。これより先に陸中野田~久慈(11.1km)は震災5日後には開通している。驚くべき速さといえるスピード復旧の原動力は、三鉄トップ、社長の望月正彦にほかならない。

 大震災発生と同時に発令された大津波警報が解除されると直ちに全線を踏査した望月は惨状を目の当たりにする。線路や橋の流失、信号線寸断など被害は317カ所。岩手県大船渡市の盛と釜石を結ぶ南リアス線(36.6km)の状況はひどい、と判断すると、「できるところから手をつける」と決めた。

 「まず北だ。人が足りなければ南から引き抜く」。望月は「田老で線路を歩く大勢の被災者に衝撃を受けた。『今通さずにいつ通すんだ』と決意した」と振り返る。瓦礫撤去のための自衛隊出動要請を宮古市長に直訴もした。

 だが、そこから先の復旧作業は止まったままだ。今も開通区間は、2011/03末の時点と変わらない。

 三鉄は全線復旧に北リアス線40億円、南リアス線70億円、計110億円を見込む。営業収益は年間約4億2000万円で、県市町村の補助金で収支を保ってきた現実を前に、「自力ではどうにもならない」(望月)という。

 三陸鉄道は、1984(昭59)年に日本初の第3セクター鉄道として産声をあげた。JR山田線をはさむ南リアス線と北リアス線の開業で、宮城県石巻市から青森県八戸市まで三陸海岸全域を走る三陸縦貫線約350kmが完成した。それは内陸部を優先した明治以来の東北開発から置き去りにされていた三陸住民の悲願が成就した瞬間だった、といっても過言ではない。そこに襲いかかったのが震災と大津波だった。

 東北新幹線の車窓から目をこらすと、線路脇の電柱の色や材質に違いがあることに気づく。白、黒、シルバー。コンクリート製や鉄骨製…。JR東海、JR西日本、ゼネコンなど提供元によって種類が異なっているのだ。不揃いな電柱は、震災発生から49日というスピード復旧を支えたオールジャパンの象徴といってもよい。ただJRでも、福島第一原発の警戒区域を通る常磐線はじめ、在来線復旧の見通しは立っていない。震災前から経営的に厳しい状況に置かれていた3セク鉄道に至ってはなおさらだ。



■「村の存亡が問われる」

 三鉄北リアス線のほぼ中間、岩手県田野畑村に位置する田野畑駅は高台にあったおかげで津波の被害から免れた。しかし、震災以来列車の姿は見えない。駅舎は津波で店を流された地元の鮮魚店と酒店の仮店舗になっている。

 「集落に残ったお客さんが頼りにしてくれてうれしい。この駅から復興を始めたい」。マルワ鮮魚店店主(64)は列車が走る日を待ちわびる。
 臨時バスと三鉄を乗り継いで宮古に通う高校生(17)は「震災前より30分以上も早く家を出るけれど、通えるようになってうれしかった」と部分復旧時の喜びを昨日のことのように話す。

 実は田野畑から北へ4駅目の野田玉川までの区間は被害が小さく、いつでも運行再開できる。2011/03に久慈とつながった陸中野田と野田玉川の1駅間が再開するだけで、田野畑から久慈まで開通するのだ。ただ、その費用約6億円は小さな額ではない。

 田野畑村村長の上机莞治は不安を隠せない。今年度で岩手県立岩泉高校田野畑校が廃止される。「三鉄がなくなれば高校生は宮古や久慈に下宿するだろう。一家で引っ越す世帯も増える。村の存亡が問われる事態だ」

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 望月は「3年以内の全線復旧」を掲げているが、その費用110億円はあまりにも重い。
 赤字鉄道の復旧は鉄道軌道整備法施行令によって、国と自治体が25%ずつ補助し、事業者が50%を負担する。「三鉄に50億円以上の負担は厳しい。全額国の補助でできないか」(岩手県交通課長 野中広治)と訴える岩手県に対して、国土交通省は「法令改正が必要だが、国と自治体が折半で全額負担することも検討したい」(国土交通省鉄道局財務課長 松本年弘)という。

 岩手県は三鉄を災害復旧事業債の起債対象に加えるよう総務省にも働きかける考えだ。実現すれば起債額の95%が交付税で戻ることになるからだ。国の補助と災害復旧債。岩手県は二正面作戦を展開するつもりだ。

×××

 亜鉛原料を積んだ貨物を引いたディーゼル機関車がゆっくりと車輪を回し、群馬県に向けて出発した。
 2011/06/02、福島県いわき市の小名浜臨海工業地帯の貨物輸送を担う福島臨海鉄道。震災から2カ月以上が経過し、津波の難を逃れた1台と、1カ月以上かけて修理したもう1台の機関車でこぎつけた営業再開だ。群馬行きの路線は福島臨海鉄道の稼ぎ頭でもある。工業地帯とJR常磐線 泉駅を結ぶ福島臨海鉄道はJR貨物、福島県、民間企業などが出資する3セクだ。小名浜港に入る鉱石などの原料や化学製品など年間35万トンを輸送、地域産業の動脈となってきた。

 そこを震災と原発事故が直撃した。原発に近い双葉郡に工場を置く荷主企業4社との取引がなくなった。風評被害を受けた東日本唯一の製塩工場の稼働停止も痛手だ。貨物量減少と復興費用は二重の重しとなった。

 福島臨海鉄道は、国交省東北運輸局に国や自治体の補助率引き上げ、新支援制度創設などを求めた。中でも専務の友部俊一が訴えるのが、「過去3年間赤字または今後5年間の赤字見込みであること」という鉄道軌道整備法の災害復旧事業対象要件の緩和だ。福島臨海鉄道の黒字経営が逆に復旧・復興の足枷になりかねないのである。走り始めた復興の道は険しい。「必要最低限の復旧をしつつ、日々の収益を出していくしかない」。友部は厳しい表情で語る。

 そんな中、2011/06に荷主企業が新たな貨車を建造した。今後40年間は使えるものだ。地元に拠点を置く企業にとって震災後も変わらず福島臨海鉄道が欠かせない存在であり、復活を期待していることを物語っている。
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