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NBO ニュースを斬る 2012/03/21

前首相、3・11の真相を語る
菅 直人[前首相、民主党最高顧問]
白壁 達久

 首相として震災復興を担ったが、対応の遅れや情報開示の問題を指摘された。打ち出した脱原発路線は、「延命策」「人気取り」と批判を浴びる。退任に追い込まれたが、今後も原発事故の再発防止に取り組むという。相として震災復興を担ったが、対応の遅れや情報開示の問題を指摘された。打ち出した脱原発路線は、「延命策」「人気取り」と批判を浴びる。退任に追い込まれたが、今後も原発事故の再発防止に取り組むという。

菅 直人(かん・なおと)
1946/10 山口県生まれ、65歳。東京工業大学卒業後、市民運動家として活動。1974年、市川房枝選挙事務長に。1980年に社会民主連合から立候補して初当選。1996年、厚生相として薬害エイズ問題で厚生省の責任を認めて謝罪。1996年、民主党結成、1997年に単独代表に。2009年の鳩山由紀夫内閣では副首相や財務相を務め、2010年に首相就任。2011年9月退任。現在は民主党最高顧問を務める。


 東日本大震災から1年、改めて犠牲になられた方のご冥福を祈るとともに、被災者やその地域の1日も早い復興を願ってやみません。

 それにしても、戦後最大の国難において、与党野党が協力し合う形が取れていない。本当に残念で、申し訳なく、その責任を感じている次第です。

 3・11のような惨事は、二度と起こしてはなりません。地震という天災に、原子力発電所の事故という人災が重なりました。あれは人災です。自然災害は防ぐことができません。しかし、原発は人間が作り上げたものです。震災で、原発における安全性への考慮が欠けていたことが明らかになりました。

 だからこそ、二度と起こさないように、問題を捉えて、解決のための政治を日本が世界に対して示していかなくてはいけません。

■原発情報、隠していなかった

 福島第1原発がある場所は、建設前は海面から35mの高台でした。それをわざわざ、海面から10mまで土地を削って建てている。その事実が、東京電力の社史に、誇らしげに記されています。冷却するために、海水を効率的に取水して利用できるわけです。「先見の明があった」とも書かれています。ところが、この地域に50年、100年に1度、大津波が押し寄せてくることは、歴史を見れば分かることでした。

 驚くことに、ディーゼル発電機を一番低い場所に設置していた。なぜ、そこに置いたのか。聞くところによると、米ゼネラル・エレクトリック(GE)から製品を購入する契約を結んだ時、GEはコストを下げるため、直前に製作した原発の設計図をほとんどそのまま採用したそうです。そして、低い位置に電源を設置してしまった。その土地が持つ固有のリスクが、全く考慮されていなかったわけです。

 有事を想定した対策も、多くが機能しませんでした。象徴的な例がオフサイトセンターです。各原発の近くに設置されている施設で、非常時にはここに専門家が集まって対策を出すはずでした。これは原子力災害法で定められていたことです。しかし、今回の震災ではオフサイトセンターは全く機能しませんでした。

 地震による渋滞などの影響で、専門家が施設にたどり着けない。ヘリコプターを使って、数人が乗り込みましたが、電源は落ちているし、通信手段も断たれている。集まるべき人が集まらない。そうしているうちに放射線量が上がる可能性が指摘され、ビルを移動し、最後には福島県庁に移転しました。つまり、法律で「判断拠点」とされた施設が全く機能しなかったのです。

 厳しい事態を想定すべき状況なのに、それができていない。大きな理由は、原子力安全・保安院といった原発を監視・規制すべき組織が、原発を推進する立場にある経済産業省の管轄下にあったことにありました。以前は、科学技術庁の管轄だったのですが、橋本(龍太郎)内閣で文部省と合併した際に、科技庁にあった組織を経産省の部局と統合して、今の保安院ができたのです。そして、経産省という原子力を推進する官僚組織に組み込まれてしまった。

 日本では、停電でもすぐに電力が復旧するし、緊急電源も整備されているため、原発の電源問題は軽視されてきた。でも、米国は9・11の後に、テロによる電源喪失を想定して、何重もの対策を決め、日本の原子力保安院にも伝えたと言われています。しかし、現実には、原子力安全委員会や東電にきちんと伝わっていなかった。

 全電源喪失という重大な問題提起に対して、専門家も行政も電力会社も、いわば握りつぶしてきたのです。「起きないこと」として。

 情報伝達という問題で言えば、首相だった私にどれだけの情報が集まっていたのか、現在、検証が進んでいます。最近になって、当日の午後8時にはメルトダウンが起こっていたと言われています。しかし、当日に私がもらった情報には、そんな内容はなかった。東電は「燃料棒の上まで水がある」と言っていました。「だからメルトダウンはない」と。結果的には、その水位計自体が壊れていた。

 「分かっていたのに、情報を隠したのではないか」と批判されます。はっきり申し上げて、隠しておこうと思って抑えた情報は1つもありません。私まで上がってこないのです。

 「官邸に伝えた」という証言があるようですが、私まで届かない。官邸には多くの人が詰めており、その誰かに話しても、私に伝わらなければ、私としては判断のしようがない。放射性物質が大気中をどう流れるか予測するSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報も来なかった。

■「名ばかり原子力規制庁」にするな

 ベント(排気)の実施でも、東電の対応は不可解でした。当初は東電自身が「ベントすべき」と言ってきたので、最悪の事態を考えて「やるべき」と判断した。ところが、なかなか実施されない。「なぜ?」と聞いたら、「分かりません」と言う。

 現場から正確な情報が上がってこない。情報がないまま「対策を打て」と言われても、政府としては判断ができない。保安院からも案が出てこないし状況も分からない。

 ここ(官邸)にいては何も分からない――。そこで、福島にヘリコプターで飛び、現地にいる所長に話を聞いてベントを直接指示したわけです。その後も東電に直接足を運んだ。そうしないと、情報が上がってこないからです。

 「総理大臣は、官邸でじっとしておくべきだ」という人もいる。原発の情報がきちんと入ってきて、専門家が見解や判断をして、最終的な決断だけを首相が担うなら、官邸にいてもいい。

 しかし、何も原発の状況が伝わってこない中で、3日も4日もじっと待っていていいのでしょうか。確かに、私は原発の細かい専門知識はありません。陣頭指揮に対しても、異論はあるでしょう。しかし、あの場面では、現場に乗り込むしかないと判断しました。統合対策本部を官邸に置かず、東電の本店に置いたのも、その方が情報が集まりやすいと考えたからです。

 今回の原発事故で反省しなければいけないのは、全電源喪失というワーストシナリオを誰も考えて準備していなかったことでしょう。当事者である東電や規制・監督すべき立場の原子力保安院や経産省、そして政府といった関係者で、誰一人考えていなかったし、備えもなかった。

 当事者の中に、「メルトダウンした場合は」という想定自体がないのです。メルトダウンという事態は起きないことになっている。

 こうした問題を振り返るだけでなく、反省をどう生かして、3・11を二度と起こさないための仕組みを作っていくか。

 まず、4月には原子力規制庁がスタートします。原子力保安院が経産省から切り離されるわけですが、解体して刷新しないと、同じ悲劇が起こりかねません。枠組みを変えただけで、規制する組織として機能するのか。人材の問題もあります。今回の失敗を糧に解体的出直しを図り、次世代に引き継ぐ必要があります。

■「脱原発依存」の運動は続ける

 日本は原発推進国で、それが「環境先進国」になる道だと世界に売り出していました。エネルギー基本計画によると、2030年には50%を超えるエネルギーを原発で賄う予定だった。原発事故によって、計画をそのまま遂行するなんて、誰も考えないでしょう。かといって、石油などの天然資源があるわけでもない。だから、いち早く「脱原発依存」を宣言し、省エネと再生可能エネルギーの拡大を目指すことにしたのです。

 3000万人が避難するほどのリスクがあるエネルギーです。安全性を考えれば、壁を厚くして、高い堤防を築くような対策をするのではなく、そもそも原子力に頼らない社会を作る方がいい。私は「反原発」とは言っていません。原子力に依存しなくても済む社会を創る。それが「脱原発依存」です。

 2020年にも再生可能エネルギーを電力需要の20%まで持っていきたい。今、日本の再生可能エネルギーは水力を除くとたった1%程度。これを20%まで引き上げるには、エネルギー計画を根本から変える必要があります。

 そのために、電気の固定買い取り制度といった法律を整備しました。スペインやドイツを視察しましたが、法制度が整えば、民間企業がどんどん参入し、積極的な投資も増えます。日本には発送電分離など、乗り越えるべき課題がまだ多く残っています。

 ドイツではメルケル政権の前に、社会民主党が緑の党と連立政権を組んだ時期がありました。その時、「脱原発」に政策の舵を切ったのですが、時間が経つにつれて薄れてしまった。ところが、福島の事故で一気に「脱原発」を決めた。2022年までに国内の原発をすべて止めて、2050年までに80%を再生可能エネルギーにすると政府が方針を定めたのです。国民の大多数も賛同している。国と国民が一体となれば、変えられないものはない。

 首相在任中、よく「延命」や「思いつき」と批判されました。ただ、国民は、政策立案の過程はどうであれ、出てきたものの内容で判断してほしい。誤解を恐れずに言えば、国民のためになれば、思いつきであるなしは問題ではない。

 浜岡原発の停止を中部電力に要請した時も「人気取り」と批判されました。ストレステストの導入もそうです。「ではストレステストはせずに、原発再稼働を原子力保安院に単独で決めてもらっていいですか」と問い返したら、「それでいい」という答えになったでしょうか。従来の法律で保安院が決定することになっていても、国民が納得するはずがない。もっと中身を見て、判断してほしかった。

 もちろん、国民の期待に応えられなかった部分もありました。政治で100点を頂くことは難しい。ただ、私はこの失敗を検証して、原因を探り、次の世代に遺す活動は続けていきます。

 1995年の阪神・淡路大震災では、自衛隊の出動が遅れました。知事の要請が必要だったからです。その過去を知っていたので、今回は自衛隊が早期に出動できました。

 3・11を二度と起こさない――。それは人類の願いでもあるでしょう。そこに与野党の垣根などありません。悲劇を繰り返さないような危機管理体制と対応策を、真剣に話し合うべきです。

 私の政治活動は市民運動からスタートしました。市民運動とは1つのテーマを掲げて、草の根から運動を始めて実現を目指すものです。総理の座は降りましたが、もう一度自らの原点に返って、再生可能エネルギーを普及・拡大するというテーマを心に抱いて、地道に歩んでいこうと思います。

日経ビジネス 2012年3月12日号98~100ページ より
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福島第一原発:吉田所長が病気療養のため異動 既に入院 <毎日新聞 2011/11/28 16:24>を編集

 東京電力は2011/11/28、福島第一原発所長の吉田昌郎が病気療養のため、2011/12/01付で原子力・立地本部に異動する人事を発表した。既に入院している。被曝との因果関係は指摘されていない。2011/03の事故後、収束に向けた現場作業の陣頭指揮を続けてきた。
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# 下の記事と関係していそうですね。

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福島第一原発:2008年に津波可能性 本店は対策指示せず <毎日新聞 2011/11/28 02:00>を編集

 2008年に東京電力社内で、福島第一原発に想定を大きく超える津波が来る可能性を示す評価結果が得られた際、原発設備を統括する東京電力本店原子力設備管理部が、「現実にはあり得ない」と判断して動かず、建屋や重要機器への浸水を防ぐ対策が講じられなかったことが2011/11/27、分かった。東京電力関係者が明らかにした。2011/12に中間報告を出す政府の事故調査・検証委員会も経緯を調べており、研究の進展で得た津波リスク評価の扱いや対応が適切だったかが焦点となる。

 東京電力関係者によると、社内研究の成果である新たな津波評価を受け、東京電力原子力・立地本部の幹部らが対応策を検討した。その際、設備を主管する東京電力原子力設備管理部は「そのような津波が来るはずはない」と主張。評価結果は学術的な性格が強く、深刻に受け取る必要はないとの判断だったという。東京電力原子力・立地本部の上層部もこれを了承した。

 東京電力原子力設備管理部は、2006年に発覚したデータ改竄の再発防止のため実施した2007/04の機構改革で「設備の中長期的な課題への計画的な対応や設備管理の統括をする」として新設された。部長は発足時から2010/06まで吉田昌郎(現・福島第一原発所長)が務めた。

 東京電力は2008年春、明治三陸地震が福島沖で起きたと仮定、想定水位5.7mを大幅に超え、最大で水位10.2m、浸水高15.7mの津波の可能性があるとの結果を得た。東京電力関係者は「評価結果をきちんと受け止めていれば、建屋や重要機器の水密性強化、津波に対応できる手順書作りや訓練もできたはずだ」と指摘している。
 東京電力広報部は「自主的に試算した内容については、土木学会に審議してもらい、設備に反映させていくつもりだった。学会に審議を要請したのは2008/10で、軽視や放置をしていたわけではない」としている。
節電しても電力料金上昇 不透明な算定法浮き彫り <神戸新聞 2011/10/26 10:22>を編集

 関西電力の電気料金が9カ月連続で値上がりしている。一般的な家庭の場合、2011/11は2011/02と比べて333円の負担増となり、2011/12も上がる見通しだ。東日本大震災以降主力となった火力発電の燃料費高騰が主な理由だが、電気料金には燃料費の他、年間約300億円に上る福利厚生費なども原価に含まれる。政府の第三者委員会が指摘した東京電力と同様、ブラックボックスとも言われる不透明な料金システムに、冬も節電を強いられる消費者から不満の声が上がる。

 関西電力によると、月間使用量が平均的な一般家庭の場合、2011/02分の料金は前月比12円減だったが、2011/03以降は毎月9~54円ずつ上昇し、2011/11分は6724円になった。

 関西電力をはじめ電力各社の料金は、電気事業法に基づき、燃料価格の上下などによって変動する。関西電力によると、火力発電で使う液化天然ガスが世界的に高騰している他、東日本大震災以降、定期点検に入った原子力発電所の再開のめどが立たず、当初計画よりも火力の燃料を追加したことなどが影響したという。
 一方、電力各社は国の方針で、燃料費以外に人件費や減価償却費などを総原価として料金を算出する総括原価方式を採用。関西電力は現在、原価を2兆4111億円と算定する。
 ただし、人件費の中には健康保険料などの他、社員らが利用する保養所の維持管理費、クラブ活動費の一部、育児施設の利用補助など計約300億円の福利厚生費も含まれる。オール電化のPR費や業界団体への拠出金も原価として認められている。
 2011夏、顧客に15%の節電を要請し、冬場も続ける予定の関西電力だが、使用量を減らしても値上げで帳消しになるケースも。

 こうした電気料金の仕組みについて、資源エネルギー庁の担当者は「いろいろな見方はあるが、今後、見直しも含めて検討することになるだろう」。関西電力は「国の方針に基づいて最大限効率化の努力をしており、適切な原価を元に料金設定している」と話している。

【総括原価方式】
 電力会社が電気料金を決める際の算定方法で、電気事業法に基づき定められている。人件費、燃料費、修繕費などに事業報酬を上乗せして算出する。電力会社は赤字になる心配がない仕組みで、原子力発電所を次々と建設する財務基盤を支えた。福島第一原発事故の賠償費用捻出に向け東京電力の経費見直しを検討してきた政府の第三者委員会が問題点を指摘し、抜本的な検証を求めた。

▼「競争促す仕組みを」流通科学大総合政策学部准教授(公共経済学)青柳龍司
 総括原価方式は、国が電力会社に損失を発生させない仕組みを認めてきたということ。電力の安定供給と引き換えに、顧客に犠牲を強いてきたと見ることもできる。原価の中身を精査することは当然、求められる。総括原価方式では、電力会社がコスト削減に踏み込みにくい。発送電の分離や新規参入しやすくするなど競争を促す仕組みを考える必要がある。

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# え?知らなかったの?

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関西電力:90%超えわずか4日間 関電管内8月の電力使用率 <神戸新聞 2011/09/01 07:44>を編集

 関西電力が15%節電を要請する中、8月は電力需給の逼迫が懸念されたが、供給能力に対しピーク時の使用率が90%を超えた日は8/8、8/9、8/10、8/30の4日間にとどまった。危険域の95%に至る日は無かった。

 東京電力、東北電力管内の電力使用制限令は2011/09/09までに解除されるが、関西電力は「残暑で需要が増えることもあり得る」(関西電力 地域共生・広報室)とし、当初予定の2011/09/22まで要請を続けるという。

 8月のピーク需要は2011/08/09 14時台の2784万kWで使用率は94%。2010年の3095万kW(2011/08/19)を約10%下回った。企業が平日に集中していた操業を土日に分散させるなどピーク時間帯をずらす取り組みが進んだためとみられる。

 関西電力が公表していた最大需要予測は3138万kW。これに対し計画供給能力は原発の停止などで8月前半が2951万kW、後半が2965万kWだった。しかし、実際には2011/08/10の3010万kWなど計画値を上回る供給力を確保した日が5日間あった。関西電力は「計画能力は月平均の数値で、日々、火力の稼働率や他社からの融通などで調整している」と説明している。

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# 火力の稼働率を調整すれば、半分以上の電気を原子力に頼っていると宣伝している関西電力でも、原発なしでも大丈夫だということだ。

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関西電力:電車の間引き運転、今夏は要請しない方針 <2011/08/17 10:13 読売新聞>を編集

 関西電力は2011/08/16、関西の鉄道各社に対し、列車の運行本数を減らす間引き運転を今夏は原則として要請しない方針を固めた。電力の需給状況は厳しいが、間引き運転は社会的な影響が大き過ぎると判断した。企業や家庭への節電要請と他電力会社からの応援融通などで乗り切る考えだ。
 関西電力から具体的な要請があった場合に限り、近鉄やJR西日本は間引き運転を行う方針だった。他の大手私鉄も「間引きはできるだけ避けたい」との意向だ。阪急電鉄だけは「電力使用率が95%以上となる日が続けば、独自に間引き運転を検討する」としている。

 ただ、関西電力は、発電所の事故など今後不測の事態が起これば、改めて間引き運転要請を含めた節電策について、各社と協議する。
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焦点/福島去る企業続出/原発風評で取引支障 <河北新報 2011/10/31>を編集

 福島第一原発事故による風評被害を嫌い、福島県外に拠点を移す企業の動きが相次いでいる。スポーツ用品販売大手のゼビオ(郡山市)が本社を県外に移転する方向で検討していることが明らかになり、他にも複数の企業が県外に拠点を移したか、移転を決めている。原発事故は収束の見通しが立たず、企業流出が止まらずに産業空洞化が進む可能性がある。

<寝耳に水>
 「まだ何も分かっていない」
 2011/10/26に郡山市役所であった郡山市の記者会見。ゼビオの移転に関する記者の質問に対し、商工観光部長の角田武彦は移転話は寝耳に水で、情報収集にも至っていないことを明かした。
 ゼビオが移転検討を始めたのは2011/03の原発事故から間もなく。海外取引先を中心に、商談を避ける傾向が強まった。放射能汚染を起こした原発がある福島県に本拠地を置くことで、負の印象が深まるのは不利と判断。福島県から離れる方向で、仙台から東京にかけた地域で移転先を探している。

<海外敏感>
 放射能に対する海外の視線は厳しい。板金機械製造のトルンプ日本法人(横浜市)はドイツ本社の意向で、福島市の福島工場を2011/08で一時閉鎖した。海外での営業、輸出に支障が出たという。福島工場には約15人の従業員がいて、大部分は日本法人本社に転勤したが、数人は異動に応じずに社を去った。
 日本法人は「ドイツは原発事故に敏感。福島から逃げ出すような形で生産を中止するのは嫌だったが、本社の決定に従うしかない」と打ち明ける。

 食品トレー製造の中央化学(埼玉県鴻巣市)も風評被害を理由に田村市の東北工場の操業を休止し、生産機能を埼玉県、茨城県、岡山県などの工場にシフトした。「取引先のスーパーやコンビニエンスストアから放射能を懸念する声が出た。食べ物に関する製品で消費者の不安に直結する。原発事故が収まらない限り、操業は無理だ」と常務の塚越通永は話す。東北工場の従業員約100人のうち約80人は他工場に異動し、残りは転勤を望まないなどの理由で退職した。

 原発事故による労働力不足で生産拠点の主力を移したのは衣料製造販売のエスポアール(田村市)。本社工場を縮小し、田村市内の系列2工場を閉鎖。2011/05に新潟県阿賀野市に新工場を開設した。約120人の従業員の1/3を中国人実習生が占める。エスポアールによると事故後、本国から退避命令が届き、全員が帰国した。本社工場は原発から三十数km地点にあり、操業を再開しても戻る可能性はなく、移転を決めた。新潟県の新工場には、帰国した実習生のほぼ全員が復帰。結果的に福島からの離脱が労働者のつなぎ留めにつながった。
 社長の佐久間孝志は「外国人は日本人以上に放射能を恐れる。実習生が戻る状況を早く作る必要があり、移転はやむを得なかった」と苦渋の決断だったことを強調する。

<曇る表情>
 田村市は一部が警戒区域に指定されているが、市役所前の放射線量は毎時0.14μSv(2011/10/29現在)と比較的低い。それでも風評被害は深刻で、中央化学とエスポアールを含む製造業4社が生産機能の全部か一部を県外に移し、それに伴って約50人が職を失った。
 震災関連の特別委員会を設けた田村市議会の議長の菅野善一は「雇用が失われ、人口は減る一方だ。企業には必ず戻ってきてほしいと要請しているが、状況は変わらない」と表情を曇らす。

◎福島苦境/税収減、雇用縮小の恐れ/福島県、助成などの防止策

 民間シンクタンクの福島経済研究所(福島市)が福島県の企業を対象に2011/07~08に実施したアンケート(複数回答)によると、福島第一原発事故の影響を受けても「県内から移転しない」と答えた社が55.8%に上り、現時点では「踏みとどまる企業」が多数を占めている。
 ただ、中身を見ると「移転も考えているが、従業員の雇用、取引先との関係を思うと離れられない」(卸・小売業)、「製造業と違って他地域、外国への移転は不可能。福島県と一蓮托生、生存を図る以外にない」(農業関連業)と、「離れたくても離れられない」経営者心理が浮かぶ。

 企業が本社移転すれば地元自治体は税収減の打撃を受ける。ゼビオ(郡山市)は2010年度、計41億2900万円を納税した。うち一定額が地方税として納められている。本社が移転すると、福島県と郡山市は有力な税の収入源を失う。

 経営拠点の流出は雇用縮小も招く。ビルメンテナンスの東武(南相馬市)は、仙台市の東北支店を本社に格上げして2011/11に移転することを決めた。それに伴い、パート労働者も含めて約150人いた本社従業員を1/3に減らした。「原発事故で本社の受注が激減し、移転と従業員の解雇に踏み切らざるを得なかった」と社長の中島照夫は苦しい胸の内を明かす。

 福島県は企業流出を食い止めようと、助成制度や空き工場の紹介などの対策を講じている。福島第一原発から20km圏内の警戒区域の富岡町に立地する精密プラスチック製造業者が福島県の制度を使って相馬市に移転し、県外流出を避けた例もある。だが、行政の流出防止策も、原発事故の風評被害の猛威からすれば焼け石に水の印象を拭えない。福島県は地元にとどまる企業の税の優遇措置や規制緩和を盛り込んだ特別立法の制定を国に要請しているが、原発事故から7カ月半たっても法制化されていない。

 福島経済研究所研究員の高橋宏幸は「現時点では県内に踏みとどまっている企業も、放射性物質の除染が進まず、風評被害で売り上げが減り続ければ移転を検討することもあるだろう」とみている。
電力安定供給にゴミ発電脚光 明石・尼崎 <神戸新聞 2011/11/03 11:10>を編集

 東日本大震災の影響で冬場も電力不足が見込まれる中、ゴミ処理場の焼却熱を利用した廃棄物発電が脚光を浴びている。兵庫県内では、明石市や尼崎市のゴミ処理場が今夏、電力需要がピークとなる昼間に発電を集中させるなど、電力の安定供給に貢献。同様の事例は東京都などでも広がっており、所管する環境省も推進を図る方針だ。

 焼却炉から出る熱で蒸気タービンを動かすゴミ発電。導入自治体は年々増え、環境省などによると2009年度時点で、全国で304自治体(一部事務組合を含む)、兵庫県内では8市と揖龍保健衛生施設事務組合など3つの一部事務組合が稼働させている。施設内でのみ消費する、余剰分を電力会社などに売るの主に2タイプの施設がある。

 明石クリーンセンター(明石市大久保町松陰)は1999年度にゴミ発電設備を導入。2010年度は、約1万世帯の年間使用電力量に相当する計約3854万KWhを発電し、そのうち約2275万KWhを電力小売会社に売却した。2010年度決算によると、売電による収入は約2億3000万円だった。「効率良くエネルギーを生み、財政的にもプラス」と進めてきたゴミ発電に、震災による原発事故の影響で新たな需要が加わった。電力不足が見込まれる中、関西電力が自家発電設備を持つ自治体などに協力を依頼。これを受け明石クリーンセンターは今夏、ゴミ焼却を電力消費が多い昼間に集中させた。所長の大西三彦は「冬も電力消費が多い夕方以降に発電を増やす検討をしたい」と話す。

 尼崎市のクリーンセンター第2工場(尼崎市東海岸町)も今夏、昼間に発電を集中させるとともに、焼却灰を処理する施設の運転を止めてその電力分も売電に転用。売電量は2010年同時期より約23%増えた。

 東京二十三区清掃一部事務組合(東京都)でもゴミ焼却施設全20カ所で、7~9月の最大売電量(13~15時)を2010年度より33%アップ。各地でのこうした取り組みを受け、環境省も2012年度予算の概算要求で、高効率ゴミ発電施設の新設に対する交付金を盛り込んだ。環境省の担当者は「施設数はまだまだ足りない。循環型社会の実現と電力不足解決に向けた施策としてより一層進めたい」としている。
兵庫県が太陽光発電:整備34億円、年間節約3500万円 <神戸新聞 2011/10/15 07:17>を編集

 兵庫県が本庁舎や県立高校など92施設に順次設置してきた太陽光発電をめぐり、整備に総額約34億円を投じたものの、年間に節約できる電気料金は全体で3500万円程度にとどまっていることが2011/10/14、分かった。整備費用に対する効果が低いと批判する声もあるが、兵庫県は「普及啓発や今夏の節電などで一定の効果はあった」としている。
 同日開かれた兵庫県議会決算特別委員会で、県議の石井健一郎(民主党・県民連合)の質問に兵庫県が明らかにした。

 兵庫県は1993年度以降、本庁舎や高校など県立施設に太陽光発電パネルの整備を開始。2010年度末時点で92施設に整備を終え、国の補助金を合わせて約34億6000万円(うち兵庫県負担は約19億6000万円)を費やした。本庁舎では設置が難しい場所だったため約5億円を要した他、西播磨総合庁舎(上郡町光都)には、自治体庁舎では全国最大規模とされる年間発電量50万KWのパネルを約2億7000万円で整備した。
 92施設の年間総発電量は、本庁舎の4カ月分の使用量に相当する310万キロワット。大部分は庁舎内などで消費し、電気料金に換算すると3500万円程度になったという。
 多額の費用を投じながら顕著な効果が出ていないとの指摘に対し、兵庫県は「太陽光発電の導入初期の普及啓発や学校での環境学習、設備の技術開発に貢献できた」と説明。地球温暖化ガスの排出削減や今夏の電力不足に伴う節電にも効果があったとする。

 兵庫県は本年度、東日本大震災の影響を受けた緊急の省エネ対策として、約5億6000万円の予算で、さらに県立学校や警察署計40カ所で導入を進めている。
菅前首相インタビュー要旨 <共同通信 2011/09/17 19:58>を編集

 前首相 菅直人のインタビューの要旨は次の通り。

-東京電力福島第一原発事故では全電源が喪失した。
 全電源喪失が何を意味するかは私なりに理解していた。原子炉の冷却機能が停止し、メルトダウンにつながる重大な危機と分かっていたので、大変な事故が発生したというのが最初の印象だ。

-ベントをめぐる東京電力と政府の連携の悪さが指摘された。
 早い段階から東京電力の責任者に首相官邸の危機管理センターに来てもらい、海江田万里経済産業相(当時)、原子力安全・保安院、原子力安全委員会の責任者が状況把握に努める中、格納容器の圧力が上がっているからベントが必要だという意見では、関係者は全員一致していた。
 だから東京電力の責任者に「それでいきましょう」というと「分かりました」とのことになったが、しばらくして「どうなりましたか」と聞くと「まだやれていません」という繰り返しだった。現地を含めた東京電力社内の意思決定の問題なのか、技術的な問題なのか、その原因はよく分からない。
 いずれにせよ現地とコミュニケーションができないと物事は進まない。それが2011/03/12に(自らが)第一原発に行く最大の要因だった。そして吉田昌郎所長と会って直接状況を聞き、話をすることができた。ここでやっとコミュニケーションのパイプがつながったという思いだった。

-2011/03/12には1号機が水素爆発したが。
 ちょうど野党と党首会談をやっている時だったが、東京電力からの報告がなかなか上がってこなかった。そもそも水素爆発という認識がなかったからではないか。当時は格納容器内に窒素を充填しているから水素爆発は起きないということで、実際そうした説明を聞いていた。後で分かるが、現実にはその時点でメルトダウンを起こして水素が格納容器の外に漏れており、それが爆発を起こすわけだが、東京電力、保安院、原子力安全委といった原発関係者には当時はそうした判断はなかったと思う。

-東京電力は「撤退したい」と言ってきたのか。
 経産相のところに清水正孝社長(当時)が言ってきたと聞いている。経産相が2011/03/15の午前3時ごろに「東京電力が現場から撤退したいという話があります」と伝えに来たので、「とんでもない話だ」と思ったから社長を官邸に呼んで、直接聞いた。社長は否定も肯定もしなかった。これでは心配だと思って、政府と東京電力の統合対策本部をつくり、情報が最も集中し、生の状況が最も早く分かる東京電力本店に(本部を)置き、経産相、細野豪志首相補佐官(当時)に常駐してもらうことにした。それ以降は情報が非常にスムーズに流れるようになったと思う。

-2011/03/17に自衛隊ヘリコプターが上空から原子炉に放水したが。
 日本の最大級の危機に対してしっかり対処していく意思を象徴的に示してくれた場面だった。その後は東京消防庁も頑張ってくれたし、警視庁もやってくれた。いろいろな機関が、危険を乗り越えて行動で示してくれた。そういう意味で重要な行動だったと思う。

-原発事故は「想定外」の事故と考えるか。
 本来は想定すべきことを考えてこなかったことは否定できない。危険性への対策をするのではなく、危険という議論をいかに抑え込むかをやってきた。原子力の安全神話は、「生まれた」のではなく「つくられた」と思う。そういう意味では人災だと言わざるを得ない。

-避難区域を半径3km、10km、20kmと拡大させた対応について。
 複数の原子炉がシビア・アクシデントを起こした経験はどこの国にもない。夜中に、機械的にやっても逃げられるのか。一軒一軒の戸をたたいて、誰が起こすのか。逃げられるような段取りを含め、結果として段階的に広げた。間違っていたとは思わない。

-2011/03/16に「東日本がつぶれる」と発言したと伝えられた。
 そんなことは言っていない。最悪のことから考え、シミュレーションはした。(東京電力が)撤退して6つの原子炉と7つの核燃料プールがそのまま放置されたら、放射能が放出され、200kmも300kmも広がる。いろいろなことをいろいろな人に調べさせた。全て十分だったとは思わない。正解もない。初めから避難区域を500kmにすれば、5000万人くらいが逃げなければならない。高齢者の施設、病院もあり、それも含めて考えれば、当時の判断として適切だと思う。

-中部電力浜岡原発に停止要請した経緯は。
 経産相が止めた方がいいと意見具申してくれた。M8程度の東海地震が87%の確率で30年以内に起きるという指摘があった。そうなったときに福島第一のようにならないように、という判断を経産相がして、私も同意見だった。地震の可能性が突出して高いということで他の原発とは別次元だった。その後、九州電力玄海原発再稼働の問題が起こる。
 基本的に私が言った考え方は一つだけ。つまり、保安院だけで追加の安全措置を「こうしてください」、「はい結構です」と合格点を出すのはおかしい。今の法律がそうなっているからといって、保安院だけで判断したら国民は納得しない。それで、原子力安全委員会を関与させ、国際原子力機関(IAEA)の考え方を取り入れたストレステスト(耐性評価)の話になっていった。

-2011/07に「脱原発依存」を宣言した背景は。
 2011/03/11以前は安全を確認し、それを踏まえ原子力を活用するという姿勢だった。しかし2011/03/11を経験し、本当に最悪の事態を想定したら、そのリスクをどれだけの安全性の考え方でカバーできるのか。車なら一度の事故で亡くなるといってもそう多くはないが、原発事故では最悪、国が広範囲に汚染され、国としての機能が動かなくなる。一番の安全性は原発依存から脱却することだ。それが私の結論で、2011/07に私なりの考え方を言うと同時に、政策的にも「エネルギー・環境会議」で原発依存の低減という方向性を出した。

-保安院を経産省から分離する閣議決定を2011/08に行った。原子力行政の見直しは進んだか。
 かなりやったと思っている。保安院が(原発)推進官庁の経産省の中にあって(原発政策をめぐる)「やらせ」まであった。誰の目から見ても経産省の中に置いておくわけにはいかなかった。2011/06末に(細野)原発事故担当相を置いたのが大きかった。野田佳彦首相も細野担当相を留任させ、その方向を進めている。もう逆行することはないと確信している。

-野田首相は菅氏ほど「脱原発」を鮮明にしていない。
 原子力への依存を低減させていくというのは、言い方の強弱は別として、私の内閣のときのエネルギー・環境会議の表現とほぼ同じで、踏襲されている。それよりも先のことは国民の選択だ。

-退陣直前の2011/08/27に福島県の佐藤雄平知事に中間貯蔵施設の県内設置を要請した。
 (放射能の)除染を進めているが、一方でかなり長期間、帰ってもらうことが不可能な地域もある。それについては2011/03/11の時点で責任者だった私が、厳しいことも含め、申し訳ないがこういう状況だと伝えておくことが必要だと(判断した)。併せて、帰るときには除染が必要で、除染した土などは中間貯蔵という形で福島県内にためておく必要があるということも理解を求めたいと思った。

-核燃料サイクルはどうすべきか。
 個人的考えを言えば、液体ナトリウムを(冷却剤として)使った高速増殖炉はほとんどの国が撤退していて、難しい技術だ。これが本当にできるかを含め、本格的な見直しの時期ではないか。最終処分の問題も、世界中で方向性が定まっていない。まさに今、考える必要がある。

-今後の活動は。
 大きな事故を体験した責任者として、原発に依存しない社会の実現に向け、再生可能エネルギーの促進などに積極的に役割を果たしていくべきだと感じている。

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# なぜか消えつつあるので保存。
原発のない国へ/政治の意思を明確にして進め <神戸新聞 社説 2011/09/09>を編集

 東京電力福島第一原発の事故から半年になる。前首相の菅直人は「原発に依存しない社会」を掲げ、再生エネルギー特別措置法などの成立と引換えに政権を明け渡した。首相の野田佳彦は就任早々、「脱原発依存」路線の継承を明言した。
 原発の暴走は手の施しようがなく、放射能による危害は深刻だ。住民は家や土地を追われ、帰る見込みも立たない。
 わたしたちは原発と決別すべきと考える。時間をかけて原発をなくしたい。
 地震、津波が不可避の日本では同様の事故を繰り返さない保障はないからだ。割高でも、不安定でも、安全なエネルギーに比重を移すべきである。
 ただ、半世紀以上かけて築いた原子力政策である。付随して解決すべき問題は多く、放棄するにしても慎重な対応が求められる。新政権は政治の意思を明確にし、脱原発の道筋と目指す社会像を国際社会に示す責任がある。
 経済産業相の鉢呂吉雄は、停止中の原発の再稼働について、こう語っている。
 経産省原子力安全・保安院、原子力安全委員会の評価を求め、政府がつくる基準で判断し、立地地域の理解を得る。客観性を持たせるため、国際原子力機関(IAEA)の判断を加える。
 信頼に足るストレステストにできるか、再稼働のお墨付きを与えるだけにならないか。二重にチェックする仕組みが不可欠で、新政権は力量を試される。
 もう一つの問題は、放射能で汚染された地域の除染を、どう進めるかだ。
 剥ぎ取った表土などの廃棄物を、どこへ持っていくか。国は最終処分地を示していない。地元につくる中間貯蔵施設でしばらく管理するのは現実的だが、固定化させてはならない。地元の理解を得て進めることが前提となる。

□耐震性に根強い不安
 経産相は新規建設は困難で、原発はゼロになるとの見通しも示した。
 中部電力浜岡原発の停止、ストレステストの導入、電力会社の地域独占体制の見直し…。いずれも前首相が表明したことだが、政府内での調整は不足していた。政治手法が未熟だったということに尽きるが、これでは社会は混乱する。
 野田新政権は、脱原発へ舵を切る理由を丁寧に説明することだ。そこへ向かう工程と、原発に代わるエネルギー政策の全体像を示さなくてはならない。
 わたしたちが原発を放棄すべきという理由の一つは、過酷事故への対応が手に余ることを知ったからだ。ありあわせの技術で暴走を食い止めるほかない。崩れ落ちた核燃料を安全に取り出す方法や技術も確立されていない。廃炉の道のりは苦難に満ちたものになる。
 耐震性への根強い不安もある。東電は冷却系の重要な配管などに地震による損傷はなかった、とした。だが、水素爆発前の1号機での急速な水位低下など説明のつかない現象も起きており、地震による損傷を疑う声は少なくない。
 事実なら、耐震性が不十分ということだ。2007年の新潟県中越沖地震で東京電力柏崎刈羽原発が想定を超える揺れで損傷し、国は耐震指針を見直した。今度も地震による損傷となれば、耐震指針は安全のよりどころでなくなる。
 地震多発国で原発がどれほどの揺れに耐えられるか、裏づけがないまま動かし続けることほど恐ろしいことはない。
 安全に対する誠実さという点でも電力会社や国の姿勢に不信をぬぐえない。
 東京電力が今回の津波を想定外としてきたことは事実でなかった。2008年に15mを超す津波の到来を試算していた。原子力安全・保安院に報告したが、対策を怠った。東京電力は「あくまで試算。設備や運用に反映する類いの内容でないと判断した」と釈明した。何のために試算や想定はあるのか、耳を疑ってしまう。

□世界に向け発信せよ
 最悪のレベル7を経験しても、国や電力業界の体質は少しも変わらない。
 脱原発依存を掲げる新政権は、前政権のように目の前の問題に場当たり的に対処することは許されない。
 事故を受け、政府は2030年までに14基以上の原発を新増設するとしたエネルギー基本計画を、早々と撤回した。
 自民党政権以来、エネルギー政策の根幹としてきた核燃料サイクル計画の抜本的見直しも避けて通れない。
 中核をなす青森県の六ケ所再処理工場の役割も変わるだろう。本来、原発の使用済み燃料からプルトニウムを取り出す施設だが、原発で燃やすあてがなくなれば、比較的安全な状態にして捨てることに比重を移さざるを得ない。
 プルトニウムを燃料とする高速増殖炉もんじゅの取り扱いも差し迫った課題だ。ナトリウム事故以来、満足に動いていない。実用性は未知数。蓄積した技術をどう継承するか、検討すべき課題も残すが、廃炉を決断する時期にきている。
 過酷な事故は核兵器がもたらす悲惨と変わらない。政府は原発輸出を認める方針だが、原発を持つ国が広がれば、事故の確率も増す。慎重に取り扱うべきだ。世界の核不拡散にどう貢献するかについても、日本は語らねばならない。原発をどうするという内向きの議論で終わらせないことだ。

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# ノーモア ヒロシマ、ノーモア ナガサキ、ノーモア ビキニ。そしてノーモア フクシマ。
記者の目:国策に依存する原発城下町・敦賀=日野行介(大阪社会部)<毎日新聞 2011/08/31 東京朝刊>を編集

◇自治再生で原子力政策の転換を

 東京電力福島第一原発の事故が起きてもなお、なぜ立地自治体は原発維持を求め続けるのか。このテーマを追って「この国と原発 第1部 翻弄される自治体」(2011/08/19~2011/08/25朝刊連載)で、日本有数の原発城下町、福井県敦賀市を取材した。そこで強く感じたのは、原発マネーへの依存心より、むしろ、国策に貢献する特別な町という自負心に似た住民意識だ。国策にすがらざるを得なかった住民たちの心情を理解し、同じ目線に立って原発問題を考える必要があると思う。

 2005年春まで3年間、敦賀市で勤務した。6年ぶりに取材する住民たちは福島の事故で動揺しているだろうと予想したが、表面上はそんな様子はうかがえなかった。だが取材を進めるにつれて、複雑な住民感情の深層が見えてきた。

◇事故の危険訴え、市議の得票減る

 敦賀市議4期目の今大地晴美(60)は、2011/04の敦賀市議選で初めて脱原発を掲げた。既成政党の支援を受けず、環境問題に熱心に取り組んできた。従来は原発について特に言及しなかったが、「福島の事故は人ごとではない。このままではいけない」と考え、選挙で訴えの中心に置いた。事故直後だけに、危険性の訴えは有権者の共感を呼ぶと予想したが、反応は逆だったという。演説で原発について触れると、聴衆の多くが立ち去っていった。「敦賀では事故は起きない」という反発の声も浴びた。結局、当選はしたものの、得票数は前回より1割以上減った。「ショックだった。(住民は)お上のお墨付きを受けた原子力にすがるあまり、何も考えないようになってしまった」と嘆く。

 原発による直接の経済効果は、一般に考えられるよりは限定的だ。機器の多くは県外で製造されているので、系列や下請け企業が建ち並ぶ自動車や電機など製造業の城下町と様相が異なる。それを補うように投下されてきたのが原発マネーだ。敦賀市にこれまで入った電源三法交付金は累計約460億円。巨額の固定資産税や匿名の寄付もある。その大半は公共施設、いわゆるハコモノ建設に使われた。豪華な体育施設や観光施設ができて街は見違えるようになった。だが、こうした施設には維持費がかかり続ける一方、交付金など収入は年月がたつほど減っていく。建設業などを別にすれば、住民たちはさほど恩恵を実感していない。推進を主張する住民も「別に原子力を好きなわけやない。ないに越したことはない」と口をそろえ、原発に愛着や思い入れを持つ様子はない。では、住民たちの本当のよりどころはどこにあるのか。

 それは、原子力が国策だという点にあると思う。菅直人首相が脱原発依存と述べたことについて、ある市議に尋ねると、「これまで協力してきたのに、梯子を外されてたまるか。国策なのになんでぐらぐらするんや」と苛立った声が返ってきた。国策の正否はさておき、国策に協力してきた特別な町という意識が彼らを支えている。

◇立地地域住民の自負心理解必要

 都市と地方の二極分化が進む中で、原発が来た我が町も思ったほどの発展はない。深く考えるのをやめ、すがる他にないのだ。

 事故後も原発推進の姿勢を崩さない立地地域に対して、原発から遠い都市部の住民の視線は冷たいように思われる。「原発関連の経済依存から抜け出せない」とか「原発マネーにたかっている」という声さえ聞かれる。だが、国策に協力という自負心を理解しないステレオタイプな捉え方は、立地地域を反発させ、国策への依存をさらに強めかねない。

 原子力政策は国の限られた利害関係者が国策として決め、立地地域の自治体が従う形で閉鎖的に進められてきた。そこには、それぞれの自治体の住民自身がまず考えるという地方自治の精神もなければ、広く国民世論を反映する仕組みもない。これこそが問題なのだ。

 原子力に代わる将来のエネルギー源として期待される自然(再生可能)エネルギーは、地域ごとに自立した小規模分散型電源とされる。担い手となる地方自治の主体的な取り組みが不可欠だ。国が過疎地に押しつけてきた原子力とは、いわば対極にある。

 これからのエネルギー政策の論議は、国策の押し付けがいかに地域住民の意識を呪縛してきたかという反省から始めなければならない。自分の町のことは自分たちで考えて決めるという地方自治の基本に立ち返ること。それが、エネルギー問題を考えるうえで重要ではないのだろうか。
敦賀原発2号機、燃料棒に微小な穴か 放射性物質濃度上昇の原因 <共同通信 2011/07/25 18:40>を添削

 日本原子力発電(原電)は2011/07/25、敦賀原発2号機(福井県敦賀市、出力116万kW)で2011/05に一次冷却水の放射性物質濃度が上昇したトラブルについて、燃料棒に微小な穴が開いていたのが原因と推定されると発表した。穴が開いた詳しい経緯は不明という。

 敦賀原発2号機では、2011/05/02、冷却水中のヨウ素133と希ガスの濃度が大きく上昇して原子炉を停止。その後、2011/05/08と2011/05/21、配管に開いた穴から排気筒を通じ、微量の放射性ガスが外部に漏れた。

 原電が燃料集合体193体を調べると、集合体を構成する燃料棒1本に放射性物質の漏洩を確認。表面検査では発見できなかったが、燃料の被覆管にごく小さな穴が開いたとみられる。

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敦賀原発1号機、ベントなし 急遽設置へ <共同通信 2011/07/04 02:02>を添削

 沸騰水型原発の事故時に、放射性物質を含む原子炉格納容器内の蒸気を外部に排出して容器の圧力を下げる耐圧強化ベントの設備が、国内では日本原子力発電(原電)の敦賀原発1号機(福井県敦賀市)だけには設置されていないことが2011/07/03、分かった。

 敦賀原発1号機以外で、運転段階の原発は2000年前後に、その後新設された原子炉にも随時設置されたが、原電は「格納容器の圧力が上がって破損する確率は小さく、優先度が低い」として見送っていた。福島第一原発事故ではベントが必要になり、原電は急遽、実施中の定期検査で敦賀原発1号機に設置することを決め公表、福井県などにも連絡した。

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敦賀原発2号機が運転停止へ 1次冷却水で放射能濃度上昇 <共同通信 2011/05/02 19:34>を添削

 日本原子力発電(原電)は2011/05/02、運転中の敦賀原子力発電所2号機(福井県敦賀市、出力116万KW)の一次冷却水の放射性物質濃度が上昇していると発表した。規制値を大幅に下回る値だが、核燃料から漏れだしている疑いがあるとして今後、原子炉の運転を停止して調べる。原電では、東海第二原発が地震で、敦賀原発1号機が定期点検でそれぞれ停止中。両機が再開しないままだと保有する全ての原発が停止することになる。

 敦賀原発2号機では、前回調査(2011/04/26)と比べて一次冷却水中の放射性ヨウ素133の濃度が2倍の1ccあたり4.2Bq、希ガスが750倍の1ccあたり3900Bqあった。規制値は放射性ヨウ素133が対象で1cc当たり4万Bqまでとされ、今回の検出値は1万分の1となる。

 ただ、原電は核燃料の被覆管に何らかの損傷があるとみており、週1回の放射能の測定を毎日にし、状況を監視し続けたうえで原子炉の運転も停止する方針。その上で損傷個所を特定する。停止時期は未定としている。

 敦賀原発2号機は、加圧水型軽水炉(PWR)。原子炉で熱された一次冷却水が配管を介して二次冷却水を加熱、蒸気を発生させて発電タービンを回す仕組み。敦賀原発2号機は193体の燃料を2010/02に装荷し、2010/07から燃焼させている。
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# 敦賀原子力発電所の発電電力は、関西電力・中部電力・北陸電力へ売電されている。
原発緊急安全対策結果で姿勢批判 福井県「国の確認、一部だけ」 <福井新聞 2011/05/07 11:00>を添削

 全国の原発の緊急安全対策は適切だと2011/05/06公表された国の確認結果に対し、福井県は「実施を求めた安全対策の一部しか確認していない」と厳しく指摘。定期検査中の関西電力美浜原発1号機や高浜原発1号機などの再起動は認められないと態度を硬化させた。

 原子力安全・保安院 地域原子力安全統括管理官の森下泰は「(定期検査などで停止中の原発の)再起動を認めたというわけではなく、技術的に安全上問題はないということ」と説明するが、国が基本方針を示さず、対応が部分的なことに、福井県には強い不満がくすぶっている。

 福井県は2011/04、経済産業相の海江田万里に対し、明らかになっている福島第一原発事故の原因や対策に基づき暫定的な安全基準を設けるよう、具体的な対策を例示して要請。定検中の原発に関して「その基準を満たさなければ起動は困難」との考えを示していた。

 国の確認結果について福井県幹部は「外部電力を確保するための送電鉄塔の強化や変電所の地震・津波対策などが入っていない。福島の知見も示されていない」と批判。特に高経年化原発に対する安全対策が含まれていないことに強い不満を示した。国が定検中プラントの再起動への判断を明らかにしなかった点でも「まず国としての判断を下してから地元に説明すべきだ」とした。

 中部電力浜岡原発の全面停止を要請したことに対しても、福井県知事の西川一誠はコメントで「全国の原発について基本的姿勢を示さないまま、部分的に対応していることは到底、県民、国民の理解は得られない」とし、国の政策の方向性が見えないことに不信感を示した。

 原子力安全・保安院は今後、地元に対する説明の日程調整を行う方針で「地元の理解を得た段階で、国として再起動に関する考え方を明確にしていく」としている。
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