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神戸に関連する/しない新聞記事をスクラップ。神戸の鉄ちゃんのブログは分離しました。人名は全て敬称略が原則。

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貴重な神仏混合の姿をとどめる社寺 神戸市北区の六條八幡宮 2019/9/12 05:30神戸新聞NEXT

 丹生・帝釈山系と六甲山系に囲まれた山田の郷。古くから播州と北摂、京を結ぶ交通の要所として栄え、都から第一級の文化が伝えられた。戦争や自然災害の被害からも免れ、この地域だけで、計9つの重要文化財(国指定)と重要有形民俗文化財(同)が集積する、まさしく“重文銀座”だ。まずは、「丹生の山田」の総鎮守社である六條八幡宮(神戸市北区山田町中)と、聖徳太子が建立したと伝わる無動寺(神戸市北区福地)、隣接する若王子神社(神戸市北区福地)を訪ねた。

 白衣、袴に花笠をかぶった「小刀祢」と呼ばれる射手が、疾走する馬の上から的を射抜く「流鏑馬神事」。毎年10月の第2日曜日に六條八幡宮で繰り広げられる伝統行事だ。六條八幡宮は源頼朝の祖父・為義が1123年に再興したとされ、流鏑馬は市内唯一の神事として、市無形民俗文化財にもなっている。

 珍しいと言えば…。境内を見渡すと室町時代中期に建てられた三重塔(国重要文化財)がそびえる。

 「神社に仏教建築?」

 明治政府の神仏分離令以降、神仏混合の姿をとどめる社寺は激減し、現在では全国で18カ所、県内では3カ所のみという。

 宮司の畠田明彦(57)は「軒先の強い反りや、上層になるほど小さくなる建築様式に当時の特徴が現れている」と説明する。

   □   □

 六條八幡宮から北東に歩いて約1km。淡河町へと続く国道428号近くの山の中腹にある無動寺へ向かった。

 参道は美しいコケに覆われ、住職らが暮らす庫裡は、農村の原風景ともいえる茅葺き屋根だ。その中で、重厚感のある本堂が風格を放つ。住職の久保泰明(72)は「寺は盛衰を経ながら、地域に支えられてきました」と語る。

 無動寺は飛鳥時代、聖徳太子が戦での勝利を願って建立した普救寺(福寺)が起こりとされる。江戸時代に編まれた縁起によれば、現在の本堂は1752年に山田町(旧山田村)出身の高僧、眞源阿闍梨が再建したものという。「帰省の折、寺の荒廃を目にして再建を決意し、寄進を募ったそうです」。

 大日如来座像、釈迦如来座像、阿弥陀如来座像、不動明王座像、十一面観音立像と5体もの仏像が国の重要文化財に指定されている。阿弥陀如来座像(県指定重要文化財)を加え、計6体が本堂奥の収蔵庫(奥殿)に安置され、ガラス越しに拝観できる。
 ひときわ目を引くのは大日如来座像だ。座像ながら約2.8mと巨大で、久保住職は「他寺の仏様と比べても、若々しくエネルギッシュな表情」と胸を張る。
 前列中央は約80cmの不動明王。右手には魔物を退散させる降魔の剣を、左手には悪を縛り上げる「羂索」と呼ばれる縄を携え、大きく見開いた眼に力がある。気品ある表情の十一面観音や量感たっぷりの釈迦如来など、一体一体の個性に引き込まれる。
 久保住職は「訪れた人は『元気をもらった』と喜んで帰られますわ」と笑顔を見せる。

 無動寺の境内にある若王子神社の社殿も国の重要文化財だ。三間社流造で、屋根に堅板葺を残しているのは珍しく貴重だという。

 中世から連なるゆったりとした時の流れに心身をほぐされ、穏やかな気持ちで社寺を後にした。
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