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神戸・旧居留地:商船三井ビル現役続行、耐震補強へ <神戸新聞 2012/01/25 15:30>を編集
大正時代に建てられ、2012年で築90年になる神戸・旧居留地の「商船三井ビルディング」(地上7階、地下1階建て)について、所有する海運大手 商船三井(東京)は、大規模な耐震補強工事を施し、今後もオフィスビルとして使用することを決めた。社内では取り壊しなども検討されたが、「旧居留地の顔の一つ。戦災、阪神淡路大震災を乗り越えた価値は大きい」と判断。専門家も「大正期の高層建築が内部もそのままの姿で使われるのは珍しい。英断」と歓迎している。
ビルは1922(大正11)年4月、商船三井の前身 大阪商船が商船ビルヂングとして建設。鉄骨コンクリート、延べ約1万2千平方メートル。関西を代表する建築家だった渡辺節が設計し、南西角に丸みを持たせたユニークな外観が特徴だ。当時の様子を社史は「耐震耐火の構造を有し、(中略)神戸港頭の一偉観として異彩を放つ」と伝える。1、2階に大阪商船神戸支店、3階以上は貸室で海運関連の企業が入っていたという。
戦時中は空襲を免れ、昭和天皇が1947年、神戸を訪れた際にこのビルの屋上から空襲被害を視察された。
1995年の阪神淡路大震災でも入口の床の一部にひびが入った程度で、建物に大きな被害はなかったという。
1996年に神戸支店が別の場所へ移転した以降は、百貨店の大丸が家具売場として利用。現在も約60の店や事務所が入る。
一方で、神戸港に近く、地下水対策などで維持費がかさむことから、2005年から商船三井が建替えや取壊しを検討。しかし、社内から「重厚な外観、雰囲気などほかのビルにはない魅力がある」との声が上がり、継続使用を決定。数億円をかけて耐震工事を施すことになった。
工事は、コの字形の建物の中庭に鉄骨を張り巡らし、ジャングルジムのように補強。東南海・南海地震にも耐えられる強度になるという。2012/04に着工、2012年内に完成する予定。中庭部分は外からは見えないため、外観は工事前と変わらないという。
歴史的建築に詳しい ひょうごヘリテージ機構代表世話人の沢田伸(63)は「旧居留地という街の記憶が次世代につながる。歴史的建築保存の見本」と評価している。
大正時代に建てられ、2012年で築90年になる神戸・旧居留地の「商船三井ビルディング」(地上7階、地下1階建て)について、所有する海運大手 商船三井(東京)は、大規模な耐震補強工事を施し、今後もオフィスビルとして使用することを決めた。社内では取り壊しなども検討されたが、「旧居留地の顔の一つ。戦災、阪神淡路大震災を乗り越えた価値は大きい」と判断。専門家も「大正期の高層建築が内部もそのままの姿で使われるのは珍しい。英断」と歓迎している。
ビルは1922(大正11)年4月、商船三井の前身 大阪商船が商船ビルヂングとして建設。鉄骨コンクリート、延べ約1万2千平方メートル。関西を代表する建築家だった渡辺節が設計し、南西角に丸みを持たせたユニークな外観が特徴だ。当時の様子を社史は「耐震耐火の構造を有し、(中略)神戸港頭の一偉観として異彩を放つ」と伝える。1、2階に大阪商船神戸支店、3階以上は貸室で海運関連の企業が入っていたという。
戦時中は空襲を免れ、昭和天皇が1947年、神戸を訪れた際にこのビルの屋上から空襲被害を視察された。
1995年の阪神淡路大震災でも入口の床の一部にひびが入った程度で、建物に大きな被害はなかったという。
1996年に神戸支店が別の場所へ移転した以降は、百貨店の大丸が家具売場として利用。現在も約60の店や事務所が入る。
一方で、神戸港に近く、地下水対策などで維持費がかさむことから、2005年から商船三井が建替えや取壊しを検討。しかし、社内から「重厚な外観、雰囲気などほかのビルにはない魅力がある」との声が上がり、継続使用を決定。数億円をかけて耐震工事を施すことになった。
工事は、コの字形の建物の中庭に鉄骨を張り巡らし、ジャングルジムのように補強。東南海・南海地震にも耐えられる強度になるという。2012/04に着工、2012年内に完成する予定。中庭部分は外からは見えないため、外観は工事前と変わらないという。
歴史的建築に詳しい ひょうごヘリテージ機構代表世話人の沢田伸(63)は「旧居留地という街の記憶が次世代につながる。歴史的建築保存の見本」と評価している。
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