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神戸に関連する/しない新聞記事をスクラップ。神戸の鉄ちゃんのブログは分離しました。人名は全て敬称略が原則。

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神戸・祇園遺跡:見学会にファンら1700人殺到 <神戸新聞 2011/11/04 07:50>を編集

 祇園遺跡(神戸市兵庫区下祇園町)で2011/11/03、発掘調査現場の見学会が開かれた。カメラを携えた歴史ファンや住民約1700人が詰め掛け、隣接する平野商店街までつながる長い列をつくった。

 見学開始1時間前には約200人が殺到し、神戸市教育委員会は開始時間を30分早めて対応した。見学者は展示された磁器や烏帽子の破片約40点を1つずつカメラで撮影。学芸員の説明に耳を傾けながら、身を乗り出して井戸や柵の跡を確かめていた。

 平野地区で約40年暮らしたという男性(70、神戸市垂水区)は約2時間前から並び、「生まれ育った土地から平家の面影を垣間見たようでした」と満足げ。男性(85、伊丹市)は「福原京の遺跡は珍しいので飛んできました」と興味津々の様子。男児(12、平野小学校6年)は「授業で習ったから気になった。昔、この辺が都だったなんてすごい」と驚いていた。

 平野商店街で化粧品店を営む男性(39)は「遺跡にこんなに求心力があるとは。来年の大河ドラマに向けてもっとPRしたい」と話していた。

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神戸・祇園遺跡:平安時代後期の邸宅跡発掘 <神戸新聞 2011/11/01 19:02>を編集

 神戸市教育委員会は2011/11/01、祇園遺跡(神戸市兵庫区下祇園町)で、平安時代後期(12世紀後半)の邸宅跡を発掘したと発表した。遺跡は、平清盛が1180年に開いた福原京の中枢部にあたり、中国陶磁器などが多く発見されたことから、神戸市教育委員会は「平家一門の有力者の邸宅とみられる」と説明。邸宅の地割などから計画的な都市づくりの跡がうかがえ、福原京の全体像の解明につながるものとして期待が高まる。

 祇園遺跡は神戸市兵庫区北部にあり、1994年に国道428号(有馬街道)の拡幅工事に伴う調査で発見された。今回は商業施設の建設に伴う第14次調査として、2011/08に発掘を開始した。
 遺跡がある平野地区は、当時の公卿 中山忠親の日記「山槐記」に、清盛が屋敷を築いた場所として記される。清盛はその後、大輪田泊を拠点に日宋貿易を展開し福原遷都を実現した。祇園遺跡の南側の楠・荒田町遺跡では、大規模な柱穴や二重壕が見つかっており、このあたりに福原京の中心施設があったとみられている。

 今回の発掘調査では、柱を地面に埋め込んだ南北8.6m、東西11.8mの掘立柱建物など3棟と井戸2基、建物の間を区切る柵、区画溝の跡が確認された。建物の一つには庇や縁とみられる跡があった。
 2基の井戸は建物を建てるために埋められたとみられ、井戸を廃棄する際の祭りに使われた多数の土器が出土した。区画溝からは、白磁の水注などの中国陶磁器や京都で作られた土師器などが多く見つかっており、平家一門の有力者の邸宅である可能性が高い。

 現地説明会は2011/11/03 14~16時に開催(小雨決行)。

【同志社大学教授(中世考古学)鋤柄俊夫の話】
 鎌倉では執権の館の周りに、執権を支えた武士の屋敷があった。祇園遺跡の邸宅はこれによく似ており、平家を支えた重要人物のものである可能性が高い。地割や井戸跡の発掘から、計画的な都市づくりが行われていたことが分かったことも大きな成果だ。今後の調査で、福原京の具体的な姿が浮かび上がることを期待したい。
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