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遺族「危険運転」不適用に不満 鹿沼クレーン事故初公判 <下野新聞 2011/09/29>を編集
■「確信犯」なぜ過失 法定刑の上限に不満
柴田への怒りと裁判へのやるせなさがにじんだ。全遺族が裁判参加した鹿沼市6児童死亡事故。初公判後の2011/09/28夕、5人の遺族が栃木県庁記者クラブで会見した。法廷で初めて対峙した柴田将人(26)の姿に、「(遺族に)頭を下げることもなく反省がない」と厳しい言葉が続く。裁判の焦点となる量刑の上限は懲役7年。遺族は改めて、「やりきれない」「無念だ」とこみ上げる感情を必死にこらえた。
県庁記者クラブの会見場。横一列に並んだ5人の遺族は、机に児童6人の写真立てを並べ会見に臨んだ。うつむく姿の一方で、写真の中の子どもたちは満面の笑み。
「子どもたちの親に最後までお辞儀もしない。裁判を軽視しているのか」。計約5時間半の審理中、ほとんど顔色を変えなかった柴田。「涙もみせず、時間が過ぎるのを待っていたようにしか見えない」。
自動車運転過失致死罪での裁判に「過失が当てはまるのか。何度も発作で事故を起こし、確信犯だ」。会見冒頭、柴田が約3年前に癲癇発作が原因の事故を起こしていた点にも触れ、「適切な捜査がなされず、警察にも責任の一端がある」とも言及した。
# だって栃木県警ですから。知ってるでしょ?栃木県警のいい加減さを。
「自分の夢のために事故を起こし、子どもの夢を奪った」「自動車運転過失致死罪の量刑があまりに短く、遺族が苦しむ。長い反省期間を持たせたい」と訴えた。
公判と並行して、法定刑がより重い危険運転致死罪の適用範囲を広げるなどの法改正を視野に、署名活動を行う方針の6遺族。「残された親の役目」と涙を浮かべ、協力を求め報道陣に頭を下げた。
「未然に防げたはずの事故で、悔しくてたまりません」と全遺族の気持ちを代弁した。
■遺族、年内にも民事訴訟
鹿沼6児童死亡事故で遺族側は2011/09/28、初公判後に開いた会見で、自動車運転過失致死罪に問われた柴田将人(26)や柴田の事故当時の勤務先に損害賠償を求め、年内にも民事訴訟を提起する方針を明らかにした。訴えの詳細は今後検討するという。
~~~~
# 自動車の業務使用中は、勤務先に同じように賠償責任があります。犯人本人には私的敵討ちしかないでしょ。
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医師の制止聞かず運転、事故繰り返す 鹿沼6児童死亡事故 <下野新聞 2011/09/29>を編集
医師らの制止を聞かずに運転を続け、癲癇発作による5件を含む12件の交通事故を繰り返した末、児童6人の命が奪われる事故を起こした。鹿沼6児童死亡クレーン車事故をめぐり、宇都宮地検は宇都宮地裁で28日に開かれた初公判で、自動車運転過失致死罪に問われた柴田将人(26)の病歴や事故歴を詳述し、過失の重大さを強調した。
検察側の冒頭陳述などによると、8歳で癲癇と診断された柴田は高校在学中、持病を申告せずに違法にバイクの運転免許を取得。2003/07には自動車の免許も取ったが、2003/08には発作で電柱に衝突する自損事故を起こしていた。
柴田は鹿沼6児童死亡事故以前に、少なくとも12件の事故を起こしていた。柴田を診察した複数の医師は「人を巻き込んだらどうするの」などと自動車やクレーン車の運転を控えるよう注意していた。だが、クレーン車への強い憧れを持っていた柴田は運転をやめなかった。
鹿沼市御成橋町の国道で2008/04に登校中の男児をはねて重傷を負わせた。母親の供述調書によると、柴田は免許取消し処分を免れるため「居眠り(運転)って警察に言うから」と母親に告げ、この事故の公判では母親と2人で嘘を通した。
今回の事故当日、柴田は07時ごろに家を出て会社に向かった。その前に母親は柴田が前日の晩に抗癲癇薬を飲み忘れたことに気付いた。過去の発作の状況から不安を覚えたという。「1時間くらいの間に発作が起きるのでは」。予想は現実となった。これまでの状況を踏まえ、母親は「私も共犯」などと供述した。
鹿沼警察署員の供述調書によると、柴田は逮捕直後も「寝ちゃった」「病気はない」などと説明。事故後も運転免許へのこだわりをみせていたという。
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鹿沼クレーン児童6人死亡事故:柴田将人
2011/04/18 07:45頃、栃木県鹿沼市樅山町の国道293号で、通学途中の鹿沼市立北押原小4~6年の児童6人の列に柴田将人のクレーン車(12t)が突っ込んだ。栃木県警鹿沼警察署によると、柴田将人の事故で児童5人が死亡、残る1人も病院に搬送されたが重傷。
鹿沼警察署によると、柴田将人の事故で死亡したのは小4 伊原大芽、関口美花、下妻圭太、小5 星野杏弥、小6 大森卓馬。小6 熊野愛斗が骨盤骨折の重傷。(敬称略)
鹿沼警察署はクレーン車を運転していた柴田将人(26、栃木県日光市大沢町)を自動車運転過失傷害容疑で現行犯逮捕、容疑を自動車運転過失致死に切り替え調べている。柴田は容疑を認めているという。
鹿沼警察署によると、現場は見通しの良い片側1車線の直線道路。柴田のクレーン車は中央線を越え、対向車線脇の歩道を学校に向かって1列で歩いていた児童に突っ込んだ。柴田のクレーン車は事故現場近くの住宅に衝突した後、敷地内に入って止まった。柴田は飲酒運転ではないという。
北押原小学校は2011/04/08が始業式だった。現場は北押原小学校から北西に約200m。
●無言の帰宅に憤り・困惑
死亡した児童6人が通っていた鹿沼市立北押原小学校は記者会見を開いた。目の前で事故を目撃した校長の倉沢敏夫(56)は、「なぜ子どもたちの列に……。今も理解できないでいる」と沈痛な表情で話した。
学校によると、朝は地域ごとに7~8人くらいの班で集団登校している。事故当時は4つの班が一緒に登校しており、20~30人の児童が現場付近にいた。間一髪で事故を逃れた児童もいたという。倉沢は「子どもたちの動揺は大きいと思う。心のケアを十分にしていきたい」と話した。
現場の国道は、学校から北西に170m。追越し禁止、片側1車線の幅約9mの道路で制限速度は50km/h。児童たちが歩いていた歩道は約5mの幅があり、車道と歩道の間には自転車用の通行帯もあった。鹿沼市教育委員会は「重機車両の通行はあるが、両側に広い歩道があり、適正な通学路だと考えてきた」と説明する。しかし、ガードレールはなく、学校によると「過去に保護者から鹿沼市に対し、ガードレールの設置を要望する声もあった」という。
●保護者会 質問相次ぐ 北押原小
北押原小学校では緊急の保護者会が開かれた。学校側から事故の経緯について説明があり、保護者からは質問が相次ぐなど1時間半にわたった。
鹿沼市教育委員会によると、事故の説明後は、栃木県派遣のカウンセラーが心のケアについて説明。PTAは「登下校では子どもが1人にならぬよう協力する」と応じたという。現場の通学路は「他の道に代えてもかえって危険が増す」として、明日以降も使うという。
●仕事「意欲的だった」社内評価 終業後も運転練習
意欲的な勤務態度で、クレーン車の運転については毎日練習していた。それが柴田将人(26)への周囲のおおむねの評価だ。
柴田の勤務先の小太刀重機(鹿沼市樅山町)によると、柴田は栃木県立日光高校を卒業後、クレーンを扱う会社2社を経て、2010/05頃に小太刀重機に入社。試用期間をへて2010/08/01から正社員になった。
柴田はクレーン車の免許を入社前から持っており、毎日現場に通っていた。2010年中はあまりクレーンの仕事がなかったが、それでも「練習していいですか」と言い、終業後も自発的に敷地内で運転していたという。
副社長(65)によると、「柴田は普通な子で、まじめな子。仕事も意欲的だった」。同僚の男性たちも「柴田はクレーン車の運転が大好きだと言っていた」「昨日や今日に(運転を)始めた人間ではないから、現場で事故を起こさないように運転できていた」と話す。
クレーン車には車検と労働基準監督署による点検がそれぞれ2年に1度ある。また、出発時は必ず点検をすることになっているといい、社長の小太刀新(67)は「車の不具合があったかどうかは柴田本人に聞いてみないと分からない」と話す。
また、柴田は事故の前日は休日。別の同僚男性(45)は「特に疲れがたまっている様子はなかった」と証言する。
社長は「会社として亡くなった方に取り返しのつかないことをしてしまい、本当に申し訳ない。ご家族には私が一軒一軒回って歩き、できる限りのことはしたい」と話した。
■「確信犯」なぜ過失 法定刑の上限に不満
柴田への怒りと裁判へのやるせなさがにじんだ。全遺族が裁判参加した鹿沼市6児童死亡事故。初公判後の2011/09/28夕、5人の遺族が栃木県庁記者クラブで会見した。法廷で初めて対峙した柴田将人(26)の姿に、「(遺族に)頭を下げることもなく反省がない」と厳しい言葉が続く。裁判の焦点となる量刑の上限は懲役7年。遺族は改めて、「やりきれない」「無念だ」とこみ上げる感情を必死にこらえた。
県庁記者クラブの会見場。横一列に並んだ5人の遺族は、机に児童6人の写真立てを並べ会見に臨んだ。うつむく姿の一方で、写真の中の子どもたちは満面の笑み。
「子どもたちの親に最後までお辞儀もしない。裁判を軽視しているのか」。計約5時間半の審理中、ほとんど顔色を変えなかった柴田。「涙もみせず、時間が過ぎるのを待っていたようにしか見えない」。
自動車運転過失致死罪での裁判に「過失が当てはまるのか。何度も発作で事故を起こし、確信犯だ」。会見冒頭、柴田が約3年前に癲癇発作が原因の事故を起こしていた点にも触れ、「適切な捜査がなされず、警察にも責任の一端がある」とも言及した。
# だって栃木県警ですから。知ってるでしょ?栃木県警のいい加減さを。
「自分の夢のために事故を起こし、子どもの夢を奪った」「自動車運転過失致死罪の量刑があまりに短く、遺族が苦しむ。長い反省期間を持たせたい」と訴えた。
公判と並行して、法定刑がより重い危険運転致死罪の適用範囲を広げるなどの法改正を視野に、署名活動を行う方針の6遺族。「残された親の役目」と涙を浮かべ、協力を求め報道陣に頭を下げた。
「未然に防げたはずの事故で、悔しくてたまりません」と全遺族の気持ちを代弁した。
■遺族、年内にも民事訴訟
鹿沼6児童死亡事故で遺族側は2011/09/28、初公判後に開いた会見で、自動車運転過失致死罪に問われた柴田将人(26)や柴田の事故当時の勤務先に損害賠償を求め、年内にも民事訴訟を提起する方針を明らかにした。訴えの詳細は今後検討するという。
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# 自動車の業務使用中は、勤務先に同じように賠償責任があります。犯人本人には私的敵討ちしかないでしょ。
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医師の制止聞かず運転、事故繰り返す 鹿沼6児童死亡事故 <下野新聞 2011/09/29>を編集
医師らの制止を聞かずに運転を続け、癲癇発作による5件を含む12件の交通事故を繰り返した末、児童6人の命が奪われる事故を起こした。鹿沼6児童死亡クレーン車事故をめぐり、宇都宮地検は宇都宮地裁で28日に開かれた初公判で、自動車運転過失致死罪に問われた柴田将人(26)の病歴や事故歴を詳述し、過失の重大さを強調した。
検察側の冒頭陳述などによると、8歳で癲癇と診断された柴田は高校在学中、持病を申告せずに違法にバイクの運転免許を取得。2003/07には自動車の免許も取ったが、2003/08には発作で電柱に衝突する自損事故を起こしていた。
柴田は鹿沼6児童死亡事故以前に、少なくとも12件の事故を起こしていた。柴田を診察した複数の医師は「人を巻き込んだらどうするの」などと自動車やクレーン車の運転を控えるよう注意していた。だが、クレーン車への強い憧れを持っていた柴田は運転をやめなかった。
鹿沼市御成橋町の国道で2008/04に登校中の男児をはねて重傷を負わせた。母親の供述調書によると、柴田は免許取消し処分を免れるため「居眠り(運転)って警察に言うから」と母親に告げ、この事故の公判では母親と2人で嘘を通した。
今回の事故当日、柴田は07時ごろに家を出て会社に向かった。その前に母親は柴田が前日の晩に抗癲癇薬を飲み忘れたことに気付いた。過去の発作の状況から不安を覚えたという。「1時間くらいの間に発作が起きるのでは」。予想は現実となった。これまでの状況を踏まえ、母親は「私も共犯」などと供述した。
鹿沼警察署員の供述調書によると、柴田は逮捕直後も「寝ちゃった」「病気はない」などと説明。事故後も運転免許へのこだわりをみせていたという。
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鹿沼クレーン児童6人死亡事故:柴田将人
2011/04/18 07:45頃、栃木県鹿沼市樅山町の国道293号で、通学途中の鹿沼市立北押原小4~6年の児童6人の列に柴田将人のクレーン車(12t)が突っ込んだ。栃木県警鹿沼警察署によると、柴田将人の事故で児童5人が死亡、残る1人も病院に搬送されたが重傷。
鹿沼警察署によると、柴田将人の事故で死亡したのは小4 伊原大芽、関口美花、下妻圭太、小5 星野杏弥、小6 大森卓馬。小6 熊野愛斗が骨盤骨折の重傷。(敬称略)
鹿沼警察署はクレーン車を運転していた柴田将人(26、栃木県日光市大沢町)を自動車運転過失傷害容疑で現行犯逮捕、容疑を自動車運転過失致死に切り替え調べている。柴田は容疑を認めているという。
鹿沼警察署によると、現場は見通しの良い片側1車線の直線道路。柴田のクレーン車は中央線を越え、対向車線脇の歩道を学校に向かって1列で歩いていた児童に突っ込んだ。柴田のクレーン車は事故現場近くの住宅に衝突した後、敷地内に入って止まった。柴田は飲酒運転ではないという。
北押原小学校は2011/04/08が始業式だった。現場は北押原小学校から北西に約200m。
●無言の帰宅に憤り・困惑
死亡した児童6人が通っていた鹿沼市立北押原小学校は記者会見を開いた。目の前で事故を目撃した校長の倉沢敏夫(56)は、「なぜ子どもたちの列に……。今も理解できないでいる」と沈痛な表情で話した。
学校によると、朝は地域ごとに7~8人くらいの班で集団登校している。事故当時は4つの班が一緒に登校しており、20~30人の児童が現場付近にいた。間一髪で事故を逃れた児童もいたという。倉沢は「子どもたちの動揺は大きいと思う。心のケアを十分にしていきたい」と話した。
現場の国道は、学校から北西に170m。追越し禁止、片側1車線の幅約9mの道路で制限速度は50km/h。児童たちが歩いていた歩道は約5mの幅があり、車道と歩道の間には自転車用の通行帯もあった。鹿沼市教育委員会は「重機車両の通行はあるが、両側に広い歩道があり、適正な通学路だと考えてきた」と説明する。しかし、ガードレールはなく、学校によると「過去に保護者から鹿沼市に対し、ガードレールの設置を要望する声もあった」という。
●保護者会 質問相次ぐ 北押原小
北押原小学校では緊急の保護者会が開かれた。学校側から事故の経緯について説明があり、保護者からは質問が相次ぐなど1時間半にわたった。
鹿沼市教育委員会によると、事故の説明後は、栃木県派遣のカウンセラーが心のケアについて説明。PTAは「登下校では子どもが1人にならぬよう協力する」と応じたという。現場の通学路は「他の道に代えてもかえって危険が増す」として、明日以降も使うという。
●仕事「意欲的だった」社内評価 終業後も運転練習
意欲的な勤務態度で、クレーン車の運転については毎日練習していた。それが柴田将人(26)への周囲のおおむねの評価だ。
柴田の勤務先の小太刀重機(鹿沼市樅山町)によると、柴田は栃木県立日光高校を卒業後、クレーンを扱う会社2社を経て、2010/05頃に小太刀重機に入社。試用期間をへて2010/08/01から正社員になった。
柴田はクレーン車の免許を入社前から持っており、毎日現場に通っていた。2010年中はあまりクレーンの仕事がなかったが、それでも「練習していいですか」と言い、終業後も自発的に敷地内で運転していたという。
副社長(65)によると、「柴田は普通な子で、まじめな子。仕事も意欲的だった」。同僚の男性たちも「柴田はクレーン車の運転が大好きだと言っていた」「昨日や今日に(運転を)始めた人間ではないから、現場で事故を起こさないように運転できていた」と話す。
クレーン車には車検と労働基準監督署による点検がそれぞれ2年に1度ある。また、出発時は必ず点検をすることになっているといい、社長の小太刀新(67)は「車の不具合があったかどうかは柴田本人に聞いてみないと分からない」と話す。
また、柴田は事故の前日は休日。別の同僚男性(45)は「特に疲れがたまっている様子はなかった」と証言する。
社長は「会社として亡くなった方に取り返しのつかないことをしてしまい、本当に申し訳ない。ご家族には私が一軒一軒回って歩き、できる限りのことはしたい」と話した。
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