Sclaps KOBE
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残念ながら、自分の身は自分で守るしかないようですね。
どうせお上は当てになりません。税金はなるべく払わない方向で、節税節税。
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那智勝浦町:生死を分けた自主避難 勧告待たず離脱後、指定場所に土石流 <MSN産経 2011/09/06 14:17>を編集
台風12号の豪雨で30人が死亡・行方不明となった和歌山県那智勝浦町。町内でも最も被害が大きかった那智川沿いの井関地区では、那智勝浦町からの避難勧告や避難指示が出る前に約25人の住民が自主的に指定避難場所から移動し、九死に一生を得ていたことが分かった。住民の連携と臨機応変な判断が生死を分けた。
一方、2009/08に発生し20人が死亡・行方不明となった兵庫県佐用町の豪雨災害では、佐用町の避難勧告に従って避難を始めた一部の住民が、濁流にのまれて犠牲となっており、避難のあり方が問われている。
那智勝浦町によると、井関地区では、町立井関保育所を災害時の緊急避難場所に指定。那智川上流は過去の台風でも大きな被害はなく、今回も当初は大幅な増水がなかったことから、避難指示の発令を見送っていたが、周辺住民約25人は2011/09/03 20時頃から自主的に保育所に避難していた。
しかし、2011/09/04 0時すぎから短時間のうちに川の水位が上昇。道路にも水があふれてきたため、地区ごとにつくる自主防災組織担当の住民らが、井関保育所から川沿い約1.5km北西の、より高台にある町立市野々小学校に避難することを決断。町に連絡を入れたうえで、足が不自由な高齢者らをかばいながら、声を掛け合って複数の車に分乗し、小学校へ向かった。氾濫した道路を、迂回しながら市野々小学校へ到着。その後、土石流は川沿いの集落とともに井関保育所も襲い、平屋建ての建物は、壊滅的な被害を受けた。
町が井関地区に避難指示を出したのは避難完了後の02:12。市野々小学校も1階は土砂に埋まったが、住民は3階に避難し無事だった。
2人の住民を車に乗せて避難したという男性(66)は「まさか(避難場所の)井関保育所まで被害が及ぶとは思わなかった。危険な状態での移動だったが、あのままもう少しいたら流されていた」と振り返る。
那智勝浦町によると、住民からの連絡で最終的に井関地区には避難指示を出したが、さらに上流で死者、行方不明者が出た市野々地区には避難勧告も指示も出していない。那智勝浦町の防災担当者は「町でも地区の状況が把握できなかった。避難指示を出す前に移動し助かったのは、住民が『自分の命は自分で守る』という意識を持っていたからだと思う」と話した。
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尾鷲市:2日前からメールや防災無線で避難呼び掛け 早い対応が被害を防ぐ <MSN産経 2011/09/05 20:24>を編集
台風12号で、三重県尾鷲市は2011/09/04早朝、河川流域の住民に避難勧告を出したが、それより2日も前に、住民に対し、避難を促す注意情報をEmailや防災無線で提供していたことが2011/09/05、分かった。
早めの情報提供が高齢者らの早期の避難行動につながり、結果的に大きな被害は出なかった。今回の台風では、避難勧告・指示の遅れが被害拡大を招いたとされるだけに、尾鷲市の対応が注目されそうだ。
尾鷲市によると、大雨警報・暴風警報が出された後の2011/09/02 14時すぎ、「明るいうちに避難を勧める放送」をEmailで登録している市民約1700人に配信。防災無線でも市民らに呼び掛けた。
その1日後に尾鷲市は土砂災害警戒情報・洪水警報を、2011/09/04 05:20~06:00に順次、河川流域に避難勧告を出した。
尾鷲市によると、2011/09/02の避難を勧める放送により、尾鷲市内の高齢者約100人が避難。避難勧告を出す直前には、河川流域でも特に氾濫しそうな地域で、夜中に市職員が各戸訪問し、避難していなかった高齢者を避難させたという。その後、2011/09/04 14時までに、避難勧告の対象エリアの214世帯の2/3にあたる142世帯が避難したという。
尾鷲市は、今回の台風で72時間雨量1652mmを記録した奈良県上北山村に隣接。また、2年前の台風9号で兵庫県佐用町が水害に見舞われた際には、夜間の避難者が犠牲になったことなどから、「明るいうちの避難を呼びかけた」という。
尾鷲市防災危機管理室長の川口明則は「高齢者を早期に避難させると、不安要素が軽減され、その後の災害対応が格段にしやすくなる」と説明する。尾鷲市の防災危機管理アドバイザーを務める群馬大学教授(災害社会工学)片田敏孝は「水害は被害規模を予測することが難しく、判断を先送りすると、事態の収拾は難しい。一方で、台風などでは、災害が出るまで1日から数日間の猶予があるという特徴もあり、早い時期から段階的に対応していれば、不測の事態にも対応しやすくなる」としている。
どうせお上は当てになりません。税金はなるべく払わない方向で、節税節税。
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那智勝浦町:生死を分けた自主避難 勧告待たず離脱後、指定場所に土石流 <MSN産経 2011/09/06 14:17>を編集
台風12号の豪雨で30人が死亡・行方不明となった和歌山県那智勝浦町。町内でも最も被害が大きかった那智川沿いの井関地区では、那智勝浦町からの避難勧告や避難指示が出る前に約25人の住民が自主的に指定避難場所から移動し、九死に一生を得ていたことが分かった。住民の連携と臨機応変な判断が生死を分けた。
一方、2009/08に発生し20人が死亡・行方不明となった兵庫県佐用町の豪雨災害では、佐用町の避難勧告に従って避難を始めた一部の住民が、濁流にのまれて犠牲となっており、避難のあり方が問われている。
那智勝浦町によると、井関地区では、町立井関保育所を災害時の緊急避難場所に指定。那智川上流は過去の台風でも大きな被害はなく、今回も当初は大幅な増水がなかったことから、避難指示の発令を見送っていたが、周辺住民約25人は2011/09/03 20時頃から自主的に保育所に避難していた。
しかし、2011/09/04 0時すぎから短時間のうちに川の水位が上昇。道路にも水があふれてきたため、地区ごとにつくる自主防災組織担当の住民らが、井関保育所から川沿い約1.5km北西の、より高台にある町立市野々小学校に避難することを決断。町に連絡を入れたうえで、足が不自由な高齢者らをかばいながら、声を掛け合って複数の車に分乗し、小学校へ向かった。氾濫した道路を、迂回しながら市野々小学校へ到着。その後、土石流は川沿いの集落とともに井関保育所も襲い、平屋建ての建物は、壊滅的な被害を受けた。
町が井関地区に避難指示を出したのは避難完了後の02:12。市野々小学校も1階は土砂に埋まったが、住民は3階に避難し無事だった。
2人の住民を車に乗せて避難したという男性(66)は「まさか(避難場所の)井関保育所まで被害が及ぶとは思わなかった。危険な状態での移動だったが、あのままもう少しいたら流されていた」と振り返る。
那智勝浦町によると、住民からの連絡で最終的に井関地区には避難指示を出したが、さらに上流で死者、行方不明者が出た市野々地区には避難勧告も指示も出していない。那智勝浦町の防災担当者は「町でも地区の状況が把握できなかった。避難指示を出す前に移動し助かったのは、住民が『自分の命は自分で守る』という意識を持っていたからだと思う」と話した。
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尾鷲市:2日前からメールや防災無線で避難呼び掛け 早い対応が被害を防ぐ <MSN産経 2011/09/05 20:24>を編集
台風12号で、三重県尾鷲市は2011/09/04早朝、河川流域の住民に避難勧告を出したが、それより2日も前に、住民に対し、避難を促す注意情報をEmailや防災無線で提供していたことが2011/09/05、分かった。
早めの情報提供が高齢者らの早期の避難行動につながり、結果的に大きな被害は出なかった。今回の台風では、避難勧告・指示の遅れが被害拡大を招いたとされるだけに、尾鷲市の対応が注目されそうだ。
尾鷲市によると、大雨警報・暴風警報が出された後の2011/09/02 14時すぎ、「明るいうちに避難を勧める放送」をEmailで登録している市民約1700人に配信。防災無線でも市民らに呼び掛けた。
その1日後に尾鷲市は土砂災害警戒情報・洪水警報を、2011/09/04 05:20~06:00に順次、河川流域に避難勧告を出した。
尾鷲市によると、2011/09/02の避難を勧める放送により、尾鷲市内の高齢者約100人が避難。避難勧告を出す直前には、河川流域でも特に氾濫しそうな地域で、夜中に市職員が各戸訪問し、避難していなかった高齢者を避難させたという。その後、2011/09/04 14時までに、避難勧告の対象エリアの214世帯の2/3にあたる142世帯が避難したという。
尾鷲市は、今回の台風で72時間雨量1652mmを記録した奈良県上北山村に隣接。また、2年前の台風9号で兵庫県佐用町が水害に見舞われた際には、夜間の避難者が犠牲になったことなどから、「明るいうちの避難を呼びかけた」という。
尾鷲市防災危機管理室長の川口明則は「高齢者を早期に避難させると、不安要素が軽減され、その後の災害対応が格段にしやすくなる」と説明する。尾鷲市の防災危機管理アドバイザーを務める群馬大学教授(災害社会工学)片田敏孝は「水害は被害規模を予測することが難しく、判断を先送りすると、事態の収拾は難しい。一方で、台風などでは、災害が出るまで1日から数日間の猶予があるという特徴もあり、早い時期から段階的に対応していれば、不測の事態にも対応しやすくなる」としている。
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