忍者ブログ

Sclaps KOBE

神戸に関連する/しない新聞記事をスクラップ。神戸の鉄ちゃんのブログは分離しました。人名は全て敬称略が原則。

2024/11    10« 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  »12
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【復興日本】第3部 120日後の現実(4) 地元行政マン 焦りと葛藤 <MSN産経 2011/07/15 07:50>を編集
 「本当は、みんなここでやりたいんだよ」。宮城県亘理町 産業観光課農政班 班長の鈴木幸徳(54)はうめいた。隣接する山元町と合わせて年間約56億円。東北一のイチゴ産地である亘理町では約55haあった圃場の約93%が津波で塩水につかり、イチゴ生産農家約250戸の大半が被災。産業はほぼ壊滅した。
 営農者をいかに維持するか。「若い者は、またやりたいって…」と農家やJA関係者が何度も産業観光課を訪れた。「今、期待に応えなければ気持ちがそがれる」と鈴木。事態は一刻を争った。集団移転先に被災を免れた亘理町内の耕作放棄地、約6haを確保すると、十数戸が手を挙げた。しかし、大規模な農地はそう簡単に見つからない。
 姉妹都市の北海道伊達市からは集団移住を提案された。3年間の生活を保証する代わりに伊達市でイチゴ栽培や生産指導するのが条件だ。数年後には亘理町に戻ることを期待した一時疎開に6戸が応じた。
 支援が手薄なわけではなかった。東北農政局や国の担当者らは地元とのパイプ役として常駐、宮城県と土壌の塩分濃度調査などを実施した。国は施設設備費用の1/2を負担するという高い補助率で後押しした。それでも甚大な被害の前では根本解決には遠かった。
 二重ローン、農家の雇用確保、数年後には予想される大量の耕作放棄。問題は山ほどある。「何から手をつけるのか」。鈴木は何度も途方にくれそうになった。人手が足りずに避難所の担当も兼ねる町職員たちは疲れ切っていた。「元の規模に戻すなら、広い土地を一時的に国有化して整備し、農家に払い下げるくらいしなければ」。鈴木は頭を抱えた。

 不安は、JAみやぎ亘理のいちご生産連絡協議会会長の宍戸孝行(54)も同じだった。奇跡的に栽培用ハウスが残り、奮起して営農再開を決めたものの、最低限の資材をそろえるだけで1000万円以上かかる。家ごと被災した農家には国が9割補償してくれなければ、との声もある。「どれだけ離農者が出るか。イチゴと町の転換期だ」。宍戸は不安を口にした。

×××

 自らも家族や生活に大きな傷を受けながら、復興に取り組む地元の行政マンがいる。早く住民に安らぎとやる気を取り戻してもらいたいという焦りと、思うようにならない葛藤が交錯する。



■仮設や工場用地 どう確保

 海岸線が入り組み、平野が少ないリアス式海岸の典型的な地形の上で宮城県気仙沼市は栄えた。金華山沖はまさに宝の海で住民に富をもたらしてきた。だが、その地勢が津波の被害を大きくし、今は仮設住宅の用地不足を招いている。
 気仙沼市の仮設住宅は完成分と建設決定分を合わせて2606戸。必要戸数の約8割だ(2011/07/14現在)。用地確保は難航を極め、最後まで決まらなかった約200戸分については2011/07/04になってようやく岩手県一関市などでめどが立った。
 当初から用地不足を予想しないではなかった。それでも、気仙沼市は2011/05初めには小中学校のグラウンドや高台の公園などの公有地を確保、住民や県内外から200件の民有地提供の申し出もあった。気仙沼市都市計画課課長の佐藤清孝(56)も、「その時は何とかなるのではないかと思った」と打ち明ける。
 だが、調査を進めるとすぐに壁にぶつかった。提供された土地の大半は地盤、排水、水道整備といった条件が整っておらず、宅地として使えるのは2割にも満たなかったのだ。仕切り直しになった用地確保は遅々として進まない。暑さは日ごとに増し、被災者をこれ以上待たせることはできない。佐藤の焦りの色は濃くなるばかりだった。岩手県での用地確保も「地元近くに住みたい」という被災者の声を考えると苦肉の策と言わざるを得ない。「故郷から遠く離れてしまう立地に納得するか。着工までは極力、近場で探し続ける」(佐藤)
 しかも、仮設退去後もにらむと、公営住宅や新規住宅のための土地も残さねばならない。佐藤の試練の日々はまだまだ続く。

 直ちに必要な措置と先を見越した手当て。この2つを両立させるのは難しいことが多い。復興担当者はその困難に直面している。

×××

 「市場から見放される」。そんな危機感にせかされていた。宮城県名取市の閖上水産加工業組合理事長で、かまぼこ製造販売 佐々直の社長、佐々木直哉(65)は仙台市太白区の販売所を仮工場に改修、2011/05に営業を再開した。
 閖上港の水揚げで発展した閖上地区は、仙台名物のかまぼこ、缶詰、パックなどの水産加工業十数社が集中していた。国内水揚高第1位を誇る高級赤貝などの閖上ブランドを担った。その工場群は、3.11を境に姿を消した。
 全半壊した佐々直の工場もその一つだ。「本当は閖上に戻りたい」「別の場所で再開したら、もう戻れない」と佐々木の気持ちは乱れたが、数億円の債務を抱えての再出発だ。立ち止まる時間はなく、仙台市での営業再開を決断した。
 佐々木だけでなく閖上の水産加工業者数社が移転先での営業を決めている。「工場が散れば、閖上が閖上じゃなくなる」と名取市商工水産課の担当者らの危機感は募る一方だ。名取市民の雇用創出の場であり、にぎわいの中心でもあった閖上の変質は、名取市の形をも変えてしまいかねない。

 閖上地区は名取市内では数少ない工場建設が許可された地域だが、今は津波による建築制限があり、再建はできない。工場がばらばらになるのを防ぐ集団移転という手段も、名取市が市民会議などで住民や専門家の意見を集約している最中で簡単にはまとまらない。何より、「国の方針に基づく土地利用に見通しが立たない中で移転先になる大規模な土地の選定は不可能」(担当者)なのだ。

 厳しい戦いを強いられた中元商戦が終わればすぐに年末の歳暮シーズンが来る。「これに乗り遅れたら、もう割り込むすきはない」という業者の緊張感が伝わってくる。「急がなければならないのに、身動きが取れない」。担当者からため息が漏れた。
PR
お名前
タイトル
メール(非公開)
URL
文字色
絵文字 Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
コメント
パスワード   コメント編集に必要です
管理人のみ閲覧
<< Back  | HOME Next >>
Copyright ©  -- Sclaps KOBE --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by もずねこ / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]