Sclaps KOBE
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【復興日本】第3部 120日後の現実(3) 水産の街 見えぬ青写真 <MSN産経 2011/07/14 01:30>を編集
瓦礫とビルの残骸がおびただしく残る宮城・石巻漁港の近くで車を降りると、ヘドロや腐敗した魚介類の強烈な悪臭が鼻を突く。数十匹のハエがあっという間に四方から集まってきた。地盤は沈下し、緑や茶色に変色した海水が道路を浸している。
「人影もない。見捨てられているんです、この町は」。水産加工会社 三陸フィッシュミールの社長 高松久(55)は言う。漁港近くで魚の内臓などから田畑用の肥料を作っていた工場は瓦礫で埋まったまま。従業員全30人は解雇した。倉庫を建てて、機械を買う。町内の汚水処理が整い、その上で、原料を供給してくれる魚の加工会社が復活しなければ、会社は動き出せない。数億円はかかる。
創業者の父親、實(85)は震災当日、従業員が工場から全員避難するのを見届けたあと、津波に遭い、近くで遺体で見つかった。
「父が始めた事業を、ここで絶やす考えは毛頭ない」。しかし、地盤沈下した漁港周辺に工場を再建できるのか、残った借金の返済に借金を重ねて設備投資ができるのか。青写真は描けない。
国の2011年度第1次補正予算案で盛り込まれた水産関係予算は総額2153億円。そのうち水産加工関係に回されたのは18億円だ。宮城県水産業振興課は「加工業は土地の問題もあり、全く再建のめどが立てられていない」と嘆く。
×××
政府の復興構想会議が発表した提言には「水産業復興特区構想」が盛り込まれたが、提案した宮城県がぐらついている。
特区構想は、沿岸で養殖などを営む漁業権を漁協以外の民間資本の入った地元漁業者を中心とする法人や組合にも同格で認めるというものだ。漁業権の売買を提言する民間の案より「かなりマイルド」(宮城県水産業振興課)だが、予想以上の反発を招いた。
「大手水産会社の参入は撤退の歴史」と宮城県漁協専務理事の船渡隆平(69)が言うほど、漁業者は民間の参入に対して根強い不信感を抱いている。彼らには決して忘れられない、「ギンザケの悪夢」といわれる苦い経験があったのである。
◇
■高台の地価高騰 影落とす
ギンザケの悪夢。それは1977年から本格化した、大手水産会社と当時の志津川漁協(宮城県南三陸町)がタッグを組んだギンザケ養殖事業のことだ。
出足は順調だった。魚価も好調に推移し、1988年には1kg890円を付け、宮城県全体の生産額もこの年初めて100億円を突破した。ところが、1989年には魚価は577円に落ち込んだ。前年からの下落幅は35%。原因は海外産の台頭だ。生産額も1990年の139億円がピークだった。1993年に100億円を割ると、大手水産会社は撤退、海外での養殖事業に転じた。
「家も土地も売り払い、町を去った者もいた。会社は何もしなかった」と船渡。300以上あったギンザケ養殖業者は80に減った。今回候補にあがっているカキの養殖でも、「病気が出た途端に撤退するのではないか」という。別の漁協幹部は「本当に懸念されるのは漁協の存続だ。組合員が漁協から法人に大量に抜けるかもしれない」と明かす。
もっとも、民間への拒否反応は現場に近いほど薄いようにもみえる。南三陸町でギンザケ養殖を営んでいた40代の男性漁師は「漁師が一番損をするのはこれまでも同じ。経営戦略などノウハウを教えてもらえれば助かる」という。
民間の参入とは関係なく、漁師は魚価の変動に翻弄される。この男性が抱える借金は2001年の値崩れが原因だった。家は津波で全壊し、宮城県登米市での避難生活が続く。「会社でも漁協でもいい。魚を作らなきゃ生きていけない」。現場の声は、漁協と宮城県の争いの中に埋もれがちだ。
×××
岩手県を代表する水産都市・大船渡市は津波で市街地の大半が失われた。家が全壊し、大船渡市内の仮設住宅などで避難生活を送る元鮮魚商(61)は、仮設退去後の生活を見越し、土地を探し始めた。だが、「どこも坪1万円から2万円以上は値上がりしているようだ」。農家など地主の多くは相談に応じる気配さえないという。津波被害が大きかった今震災では、残された土地、とりわけ高台や海岸から離れた地域に希望者が殺到するのは目に見えている。「仮設退去までの2年間でじっくり考えるが、今後、高台の地価が下がることはないのではないか」と不安を漏らした。
大船渡市内の不動産会社によると、津波被害を受けなかった大船渡市立根や盛地区の一部では、坪単価4万~5万円の宅地が2倍以上に跳ね上がった。「坪10万円出しても手に入らないところまで出てきた。予想はしていたが、とうとう来たか、という気持ちだ」という。別の不動産会社では、震災後、売買契約成立後に地主が一方的に坪単価を1万~2万円値上げするケースが10件中3件あった。宅地約760平方メートルを850万円で取引する契約が成立する直前になって、地主が「やっぱり安すぎる」と1000万円に引き上げ、破談になった例もある。この会社は「需要があれば地価が上がるのは当然」としていたが、今は地価急落の不安が頭をもたげるという。「今後若者が流出し、高齢化が進めば、宅地が売れ続けるはずがない。地価上昇はあくまで一時的な現象にすぎないのでは」
こうした事態を受け、岩手県は2011/05から被災市町村を通じて実態調査を開始した。その結果、大船渡市のほか、宮古市、山田町でも一部で1~2割の値上がりが確認されたという。岩手県は「一定面積以上の土地取引について岩手県の審査が義務付けられる 監視区域の指定も検討せざるを得ない」と警戒している。
高台や沿岸部から離れた土地から始まった地価の不気味な動きは、漁師町だけでなく、被災地全体に影を落としつつある。
「人影もない。見捨てられているんです、この町は」。水産加工会社 三陸フィッシュミールの社長 高松久(55)は言う。漁港近くで魚の内臓などから田畑用の肥料を作っていた工場は瓦礫で埋まったまま。従業員全30人は解雇した。倉庫を建てて、機械を買う。町内の汚水処理が整い、その上で、原料を供給してくれる魚の加工会社が復活しなければ、会社は動き出せない。数億円はかかる。
創業者の父親、實(85)は震災当日、従業員が工場から全員避難するのを見届けたあと、津波に遭い、近くで遺体で見つかった。
「父が始めた事業を、ここで絶やす考えは毛頭ない」。しかし、地盤沈下した漁港周辺に工場を再建できるのか、残った借金の返済に借金を重ねて設備投資ができるのか。青写真は描けない。
国の2011年度第1次補正予算案で盛り込まれた水産関係予算は総額2153億円。そのうち水産加工関係に回されたのは18億円だ。宮城県水産業振興課は「加工業は土地の問題もあり、全く再建のめどが立てられていない」と嘆く。
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政府の復興構想会議が発表した提言には「水産業復興特区構想」が盛り込まれたが、提案した宮城県がぐらついている。
特区構想は、沿岸で養殖などを営む漁業権を漁協以外の民間資本の入った地元漁業者を中心とする法人や組合にも同格で認めるというものだ。漁業権の売買を提言する民間の案より「かなりマイルド」(宮城県水産業振興課)だが、予想以上の反発を招いた。
「大手水産会社の参入は撤退の歴史」と宮城県漁協専務理事の船渡隆平(69)が言うほど、漁業者は民間の参入に対して根強い不信感を抱いている。彼らには決して忘れられない、「ギンザケの悪夢」といわれる苦い経験があったのである。
◇
■高台の地価高騰 影落とす
ギンザケの悪夢。それは1977年から本格化した、大手水産会社と当時の志津川漁協(宮城県南三陸町)がタッグを組んだギンザケ養殖事業のことだ。
出足は順調だった。魚価も好調に推移し、1988年には1kg890円を付け、宮城県全体の生産額もこの年初めて100億円を突破した。ところが、1989年には魚価は577円に落ち込んだ。前年からの下落幅は35%。原因は海外産の台頭だ。生産額も1990年の139億円がピークだった。1993年に100億円を割ると、大手水産会社は撤退、海外での養殖事業に転じた。
「家も土地も売り払い、町を去った者もいた。会社は何もしなかった」と船渡。300以上あったギンザケ養殖業者は80に減った。今回候補にあがっているカキの養殖でも、「病気が出た途端に撤退するのではないか」という。別の漁協幹部は「本当に懸念されるのは漁協の存続だ。組合員が漁協から法人に大量に抜けるかもしれない」と明かす。
もっとも、民間への拒否反応は現場に近いほど薄いようにもみえる。南三陸町でギンザケ養殖を営んでいた40代の男性漁師は「漁師が一番損をするのはこれまでも同じ。経営戦略などノウハウを教えてもらえれば助かる」という。
民間の参入とは関係なく、漁師は魚価の変動に翻弄される。この男性が抱える借金は2001年の値崩れが原因だった。家は津波で全壊し、宮城県登米市での避難生活が続く。「会社でも漁協でもいい。魚を作らなきゃ生きていけない」。現場の声は、漁協と宮城県の争いの中に埋もれがちだ。
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岩手県を代表する水産都市・大船渡市は津波で市街地の大半が失われた。家が全壊し、大船渡市内の仮設住宅などで避難生活を送る元鮮魚商(61)は、仮設退去後の生活を見越し、土地を探し始めた。だが、「どこも坪1万円から2万円以上は値上がりしているようだ」。農家など地主の多くは相談に応じる気配さえないという。津波被害が大きかった今震災では、残された土地、とりわけ高台や海岸から離れた地域に希望者が殺到するのは目に見えている。「仮設退去までの2年間でじっくり考えるが、今後、高台の地価が下がることはないのではないか」と不安を漏らした。
大船渡市内の不動産会社によると、津波被害を受けなかった大船渡市立根や盛地区の一部では、坪単価4万~5万円の宅地が2倍以上に跳ね上がった。「坪10万円出しても手に入らないところまで出てきた。予想はしていたが、とうとう来たか、という気持ちだ」という。別の不動産会社では、震災後、売買契約成立後に地主が一方的に坪単価を1万~2万円値上げするケースが10件中3件あった。宅地約760平方メートルを850万円で取引する契約が成立する直前になって、地主が「やっぱり安すぎる」と1000万円に引き上げ、破談になった例もある。この会社は「需要があれば地価が上がるのは当然」としていたが、今は地価急落の不安が頭をもたげるという。「今後若者が流出し、高齢化が進めば、宅地が売れ続けるはずがない。地価上昇はあくまで一時的な現象にすぎないのでは」
こうした事態を受け、岩手県は2011/05から被災市町村を通じて実態調査を開始した。その結果、大船渡市のほか、宮古市、山田町でも一部で1~2割の値上がりが確認されたという。岩手県は「一定面積以上の土地取引について岩手県の審査が義務付けられる 監視区域の指定も検討せざるを得ない」と警戒している。
高台や沿岸部から離れた土地から始まった地価の不気味な動きは、漁師町だけでなく、被災地全体に影を落としつつある。
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