Sclaps KOBE
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ダメ民主党へ、これが本物の「官僚改革」だ
大前研一の日本のカラクリ
プレジデント 2011年3.7号
日本が機能不全に陥っている理由の一つは、役所が肥大化、専門化しすぎて、全体像を描けなくなっていること。
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いいね、いいね。いいとこついてるね。
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大前研一の日本のカラクリ
プレジデント 2011年3.7号
日本が機能不全に陥っている理由の一つは、役所が肥大化、専門化しすぎて、全体像を描けなくなっていること。
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いいね、いいね。いいとこついてるね。
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■都市のスラム化阻んだ世界に冠たる「私鉄」網
菅直人首相が「政治生命をかける」と公言し、今通常国会で関連法案の提出が予定されている「公務員制度改革」。民主党が衆院選のマニフェストで掲げた「国家公務員の総人件費2割削減」を実現するための地ならしとして、関連法案では労使交渉で給与水準を決める「協約締結権」が盛り込まれる一方、自治労がプッシュしてきた公務員のスト権付与は世論の批判を受けて、とりあえずは見送られることになりそうだ。
スト権に関しては警察、消防、自衛隊など国民の安全にかかわる組織を除き、一定のルールの下で与えても構わないと私は考える。その代わり、失業保険を導入して公務員もレイオフやリストラができるようにするべきだろう。
国家公務員法や地方公務員法には勤務実績が著しく悪い場合には免職できる旨の条項はある。しかし、そうしたケースでも身分保全を求めて訴訟を起こされると、過去の判例ではほぼすべて国や自治体側が敗訴している。
つまり、犯罪を起こしたわけでもなければ勤務実績が悪かったわけでもないのに、日本の農業従事者数が900万人から600万人になったからといって、農林水産省の職員を2/3に削ることはできない。クビにする法的根拠がないからだ。そもそも公務員に失業保険がないのは、失業しないことが前提になっているからである。
だが、この身分保障の部分に踏み込まない限り、公務員制度改革など不可能。もっといえば、公務員が何のために存在し、誰の責任で雇うのかという根源的な部分から、ゼロベースで考え直すべきだと私は思っている。
戦前の日本では「内務省」という官僚組織が、今日の厚生労働省、国土交通省、総務省、法務省、国家公安委員会などの権限を一手に掌握して国の近代化に大きな役割を果たした。
その最たるものが「私鉄」だ。現在なら鉄道は国交省運輸局、都市開発は国交省都市・地域整備局、住宅整備は国交省住宅局、病院の開業は厚労省というように許認可を与える役所は異なる。が、内務省ではこれらを1セットにして認可できたのだ。結果、私鉄の鉄道網は主要駅から郊外に延び、沿線の駅ごとに宅地開発など街づくりが行われてきたために人口が分散され、日本の都市はスラム化しなかった。こうした私鉄網は世界に類を見ないものなのだ。
■官僚制度を骨抜きにして政治主導を狙ったものの
戦後の復興から高度成長期にかけても官僚は大きな役割を果たした。「鉄は国家なり」といわれた時代、我々は通産省(当時)が策定した5カ年計画を、眼を皿のようにして読んだものだ。日本の鉄鋼業が全盛期を迎えた頃には、通産省は「産業のコメは半導体である」と言い始める。これをきっかけに日本企業の半導体投資が加速、後発だった日本の半導体産業はあっという間に世界一に駆け上がった。次いでポスト半導体として情報化社会へのシフトを唱えたのはアメリカの猿真似だったにせよ、結果的にはこれも的中した。
このように中央の官僚が長期戦略の旗振り役になって、日本の産業構造を大きく動かしてきた。炭坑を潰したり、繊維の機織り機械を潰したり、造船所の船台を半減したり、すさまじいまでの産業構造転換を演出した。
ところが、1990年のバブル崩壊を境に役人の迷走が始まる。当時の大蔵省官僚は、「大前のようなヤツが騒ぎ立てるからクラッシュが起きたのだ。黙っていろ。俺たちに任せておけば軟着陸させてみせる」という言い方をしていた。この頃から官僚の驕りや大局観のなさ、付け焼き刃的な手法が目に余るようになり、日本は「失われた(最初の)10年」へと突入していく。
その後、長引く不況の中で官僚に対する風当たりが強まり、政治が官僚をコントロールしようとする政高官低の状況が生まれた。その権化が「政治主導」を掲げた民主党だ。
しかし、そもそも経験もリーダーシップもないうえに不勉強な輩が多い今時の政治家に“政治”が務まるはずがない。「政治主導なんてうかつなことを言うべきではなかった」と、枝野幸男・民主党幹事長代理(現・内閣官房長官)自らが口にする始末で、官僚主導政治の象徴として廃止した事務次官会議を復活させるなど、今や政治主導のお題目は完全に返上したようだ。おまけに菅首相などの答弁は、望遠レンズで覗かれカナが振られているところから官僚が準備していることがバレてしまった。
国家の政策づくりを自らの手でやるんだと勢い込んでいた政治家は完全にお手上げ状態。一方で官僚もしばらく政治の表舞台から遠ざかっていたうえに頭を叩かれすぎたせいか、政治家不在でも国家を操舵したかつての統治能力を失ってしまった。いよいよ政治家も官僚も国家ビジョンが描けなくなり、バブル崩壊から20年以上が経過した今も日本の迷走は続いている次第だ。
■縦割り・前例主義の貧困な発想が国を滅ぼす
日本が機能不全に陥っている理由の一つは、役所が肥大化、専門化しすぎて、全体像を描けなくなっていること。たとえば外務省の人間に、「日本の外交はどうあるべきか?」と基本的な質問をしても誰も答えられない。「私はアメリカの専門ですから」「中国の専門だから」という外交官ばかりだ。半島有事のときに韓国にいる日本人(長期3万人+観光2万人)をどうやって救出するのか、といったことを聞いても「ン?」ってな具合である。
厚労省は国家予算の29%を握る巨大官庁だが、そこで取り扱うのは労働問題から福祉、年金、介護、医療、雇用といった問題まで多岐にわたる。“ミスター年金”こと長妻昭・前厚労大臣も、その圧倒的なボリュームに打ちのめされて潰れたようなもの。事務方トップの事務次官も、旧労働省出と旧厚生省出のタスキがけ人事だから、厚労省という箱全体を見渡せる人材がいない。
少子化問題一つとっても全体感を持ち合わせた役人がいない。たとえば働きながら子育てをするには、職場や自宅の近くに幼子を預かってくれる場所が必要なことぐらい、子供がいる家庭の視点に立てばすぐにわかるだろう。ところが役人からはそんな発想は出てこない。そういう場所をつくろうにも、どの部署が何の予算でやるのかさえ役人にはわからないからだ。
幼稚園や保育所が足りないといわれているから幼稚園や保育所をつくるというのなら動ける。しかし、親が突然の残業から帰ってくるまで預かってくれる施設が必要という話になると、途端に身動きがとれなくなる。せいぜい保育施設の利用時間を夜8時から10時まで延長して、残業手当を出すための予算を取ってこようというのが厚労省的な発想で、答えはまったく違ったものになる。
あるいは施設などつくらずに地域に任せるという解決策もある。地域には子育て経験が豊富で元気な高齢者が大勢いるのだから、そうした人たちに子供を預かってもらう仕掛けをつくればいい。しかし、総務省からはそんな発想は絶対に出てこない。
前回触れた「TPP」(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加問題もそうだ。農業を志す日本の若者をトレーニングして海外に雄飛させるようなアイデアは、農水省からはもちろん経済産業省からもまず出てこない。とんでもない額の補助金をばら撒くのが関の山で、兼業農家とJA(農協)がもたれあう旧態依然とした農業の貧しい産業構造は維持されるだろう。
役人発想が国民に害をなすケースすらある。その典型がスギ花粉の問題だ。国民の3人に1人が花粉症と言われる時代に、いまだ補助金を出して杉の植林を続けている。花粉症に苦しむ国民の立場からすれば、30年以上前に植林した杉を伐採して雑木林に戻せばいいだけの話。そんな簡単な解決法ですら林野庁の役人には発想できない。それどころか、スギ花粉の予報システムをつくったり、花粉を出さない杉の研究を大学に委託するのが仕事だと思っているのだから、滑稽ですらある。杉の老木をすべて切れば3000万もの票につながる、という発想さえない。
大局観を持てないまま、過去の成功体験にすがって前例を踏襲、繰り返してきた結果、成長期には世界の5年先を突っ走っていた日本の政策は今や30年も遅れてしまった。
では、どうすればいいか。まず、この役人および政策のあり方を何年かに一度、ゼロベースでつくり直すことだ。政治主導でも官僚主導でもなく、「生活者の視点」で見たときに本当の問題は何か、その問題を解決するにはどうしたらいいかを考え、政策を決めていく。役人を「決められた政策に沿った仕事をするためのグループ」と定義し、政策と役割ごとに資源を再配分、つまり予算や役人の数を割り振るのだ。
シンガポールでは任期を終えた役所は解体される。たとえば2000年を期限に世界トップクラスのIT立国を目指して1986年に創設されたナショナルコンピュータボード(コンピュータ省)は、3年前倒しで目標を達成して解体された。つまり有限のサンセット省庁である。
時代状況の変化とともに必要な政策も変化する。役所もサンセットであって然るべきで、歴史的役割を終えた役所は廃止、あるいは大胆に縮小すべき、というのが私の考え方だ。民主党は役所の統廃合や公務員のリストラができる法案をつくるべきだ。連合からのスト権付与の圧力を逆手にとって、公約である公務員の2割カットくらいは早期に実現してもらいたい。
菅直人首相が「政治生命をかける」と公言し、今通常国会で関連法案の提出が予定されている「公務員制度改革」。民主党が衆院選のマニフェストで掲げた「国家公務員の総人件費2割削減」を実現するための地ならしとして、関連法案では労使交渉で給与水準を決める「協約締結権」が盛り込まれる一方、自治労がプッシュしてきた公務員のスト権付与は世論の批判を受けて、とりあえずは見送られることになりそうだ。
スト権に関しては警察、消防、自衛隊など国民の安全にかかわる組織を除き、一定のルールの下で与えても構わないと私は考える。その代わり、失業保険を導入して公務員もレイオフやリストラができるようにするべきだろう。
国家公務員法や地方公務員法には勤務実績が著しく悪い場合には免職できる旨の条項はある。しかし、そうしたケースでも身分保全を求めて訴訟を起こされると、過去の判例ではほぼすべて国や自治体側が敗訴している。
つまり、犯罪を起こしたわけでもなければ勤務実績が悪かったわけでもないのに、日本の農業従事者数が900万人から600万人になったからといって、農林水産省の職員を2/3に削ることはできない。クビにする法的根拠がないからだ。そもそも公務員に失業保険がないのは、失業しないことが前提になっているからである。
だが、この身分保障の部分に踏み込まない限り、公務員制度改革など不可能。もっといえば、公務員が何のために存在し、誰の責任で雇うのかという根源的な部分から、ゼロベースで考え直すべきだと私は思っている。
戦前の日本では「内務省」という官僚組織が、今日の厚生労働省、国土交通省、総務省、法務省、国家公安委員会などの権限を一手に掌握して国の近代化に大きな役割を果たした。
その最たるものが「私鉄」だ。現在なら鉄道は国交省運輸局、都市開発は国交省都市・地域整備局、住宅整備は国交省住宅局、病院の開業は厚労省というように許認可を与える役所は異なる。が、内務省ではこれらを1セットにして認可できたのだ。結果、私鉄の鉄道網は主要駅から郊外に延び、沿線の駅ごとに宅地開発など街づくりが行われてきたために人口が分散され、日本の都市はスラム化しなかった。こうした私鉄網は世界に類を見ないものなのだ。
■官僚制度を骨抜きにして政治主導を狙ったものの
戦後の復興から高度成長期にかけても官僚は大きな役割を果たした。「鉄は国家なり」といわれた時代、我々は通産省(当時)が策定した5カ年計画を、眼を皿のようにして読んだものだ。日本の鉄鋼業が全盛期を迎えた頃には、通産省は「産業のコメは半導体である」と言い始める。これをきっかけに日本企業の半導体投資が加速、後発だった日本の半導体産業はあっという間に世界一に駆け上がった。次いでポスト半導体として情報化社会へのシフトを唱えたのはアメリカの猿真似だったにせよ、結果的にはこれも的中した。
このように中央の官僚が長期戦略の旗振り役になって、日本の産業構造を大きく動かしてきた。炭坑を潰したり、繊維の機織り機械を潰したり、造船所の船台を半減したり、すさまじいまでの産業構造転換を演出した。
ところが、1990年のバブル崩壊を境に役人の迷走が始まる。当時の大蔵省官僚は、「大前のようなヤツが騒ぎ立てるからクラッシュが起きたのだ。黙っていろ。俺たちに任せておけば軟着陸させてみせる」という言い方をしていた。この頃から官僚の驕りや大局観のなさ、付け焼き刃的な手法が目に余るようになり、日本は「失われた(最初の)10年」へと突入していく。
その後、長引く不況の中で官僚に対する風当たりが強まり、政治が官僚をコントロールしようとする政高官低の状況が生まれた。その権化が「政治主導」を掲げた民主党だ。
しかし、そもそも経験もリーダーシップもないうえに不勉強な輩が多い今時の政治家に“政治”が務まるはずがない。「政治主導なんてうかつなことを言うべきではなかった」と、枝野幸男・民主党幹事長代理(現・内閣官房長官)自らが口にする始末で、官僚主導政治の象徴として廃止した事務次官会議を復活させるなど、今や政治主導のお題目は完全に返上したようだ。おまけに菅首相などの答弁は、望遠レンズで覗かれカナが振られているところから官僚が準備していることがバレてしまった。
国家の政策づくりを自らの手でやるんだと勢い込んでいた政治家は完全にお手上げ状態。一方で官僚もしばらく政治の表舞台から遠ざかっていたうえに頭を叩かれすぎたせいか、政治家不在でも国家を操舵したかつての統治能力を失ってしまった。いよいよ政治家も官僚も国家ビジョンが描けなくなり、バブル崩壊から20年以上が経過した今も日本の迷走は続いている次第だ。
■縦割り・前例主義の貧困な発想が国を滅ぼす
日本が機能不全に陥っている理由の一つは、役所が肥大化、専門化しすぎて、全体像を描けなくなっていること。たとえば外務省の人間に、「日本の外交はどうあるべきか?」と基本的な質問をしても誰も答えられない。「私はアメリカの専門ですから」「中国の専門だから」という外交官ばかりだ。半島有事のときに韓国にいる日本人(長期3万人+観光2万人)をどうやって救出するのか、といったことを聞いても「ン?」ってな具合である。
厚労省は国家予算の29%を握る巨大官庁だが、そこで取り扱うのは労働問題から福祉、年金、介護、医療、雇用といった問題まで多岐にわたる。“ミスター年金”こと長妻昭・前厚労大臣も、その圧倒的なボリュームに打ちのめされて潰れたようなもの。事務方トップの事務次官も、旧労働省出と旧厚生省出のタスキがけ人事だから、厚労省という箱全体を見渡せる人材がいない。
少子化問題一つとっても全体感を持ち合わせた役人がいない。たとえば働きながら子育てをするには、職場や自宅の近くに幼子を預かってくれる場所が必要なことぐらい、子供がいる家庭の視点に立てばすぐにわかるだろう。ところが役人からはそんな発想は出てこない。そういう場所をつくろうにも、どの部署が何の予算でやるのかさえ役人にはわからないからだ。
幼稚園や保育所が足りないといわれているから幼稚園や保育所をつくるというのなら動ける。しかし、親が突然の残業から帰ってくるまで預かってくれる施設が必要という話になると、途端に身動きがとれなくなる。せいぜい保育施設の利用時間を夜8時から10時まで延長して、残業手当を出すための予算を取ってこようというのが厚労省的な発想で、答えはまったく違ったものになる。
あるいは施設などつくらずに地域に任せるという解決策もある。地域には子育て経験が豊富で元気な高齢者が大勢いるのだから、そうした人たちに子供を預かってもらう仕掛けをつくればいい。しかし、総務省からはそんな発想は絶対に出てこない。
前回触れた「TPP」(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加問題もそうだ。農業を志す日本の若者をトレーニングして海外に雄飛させるようなアイデアは、農水省からはもちろん経済産業省からもまず出てこない。とんでもない額の補助金をばら撒くのが関の山で、兼業農家とJA(農協)がもたれあう旧態依然とした農業の貧しい産業構造は維持されるだろう。
役人発想が国民に害をなすケースすらある。その典型がスギ花粉の問題だ。国民の3人に1人が花粉症と言われる時代に、いまだ補助金を出して杉の植林を続けている。花粉症に苦しむ国民の立場からすれば、30年以上前に植林した杉を伐採して雑木林に戻せばいいだけの話。そんな簡単な解決法ですら林野庁の役人には発想できない。それどころか、スギ花粉の予報システムをつくったり、花粉を出さない杉の研究を大学に委託するのが仕事だと思っているのだから、滑稽ですらある。杉の老木をすべて切れば3000万もの票につながる、という発想さえない。
大局観を持てないまま、過去の成功体験にすがって前例を踏襲、繰り返してきた結果、成長期には世界の5年先を突っ走っていた日本の政策は今や30年も遅れてしまった。
では、どうすればいいか。まず、この役人および政策のあり方を何年かに一度、ゼロベースでつくり直すことだ。政治主導でも官僚主導でもなく、「生活者の視点」で見たときに本当の問題は何か、その問題を解決するにはどうしたらいいかを考え、政策を決めていく。役人を「決められた政策に沿った仕事をするためのグループ」と定義し、政策と役割ごとに資源を再配分、つまり予算や役人の数を割り振るのだ。
シンガポールでは任期を終えた役所は解体される。たとえば2000年を期限に世界トップクラスのIT立国を目指して1986年に創設されたナショナルコンピュータボード(コンピュータ省)は、3年前倒しで目標を達成して解体された。つまり有限のサンセット省庁である。
時代状況の変化とともに必要な政策も変化する。役所もサンセットであって然るべきで、歴史的役割を終えた役所は廃止、あるいは大胆に縮小すべき、というのが私の考え方だ。民主党は役所の統廃合や公務員のリストラができる法案をつくるべきだ。連合からのスト権付与の圧力を逆手にとって、公約である公務員の2割カットくらいは早期に実現してもらいたい。
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