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江戸時代、神戸で地震津波 居留地遺跡地層に津波の跡 <神戸新聞 2011/01/28 08:45>を添削
神戸市教育委員会は2011/01/27、神戸市中央区江戸町の旧神戸外国人居留地遺跡の地層から、江戸時代の南海地震による津波の痕跡を確認した、と発表した。江戸時代の地層に、海から押し寄せたとみられる砂が堆積していた。過去の南海地震では西日本各地に津波の被害が報告されているが、神戸で津波の痕跡が見つかったのは初めて。
神戸市教育委員会によると、旧神戸外国人居留地遺跡では明治時代の建物跡などが発掘されている。2009~2010年の調査で掘った長さ約15mの地層断面を、同志社大教授(堆積学)の増田富士雄が分析した。
津波の痕跡が見つかったのは、明治時代に整地された地層(地下約1.5m)のすぐ下にある江戸時代の地層。約30cmにわたり、泥を含まないきれいな砂が積もっていた。砂は波によって押し寄せたり、ひいたりする津波特有の配列で積み重なっていたという。その下は川の氾濫によるとみられる泥の混じった砂が堆積していた。
堆積物があったのは標高1.7~2.0mだったため、津波の高さは2.5m前後と推定。この地点で波が7~8往復したことが分かったという。
江戸時代には、1605年(慶長)、1707年(宝永)、1854年(安政)の3度、南海地震が起きたが、地層の位置から安政、宝永いずれかの地震によるものとみられる。
江戸時代の文献によると、大阪では宝永、安政ともに地震による大きな被害があったことが分かっており、宝永では「溺死者1万人」との記録もあるという。しかし、神戸での津波記録はこれまでなかった。
神戸市教育委員会文化財課 学芸員の千種浩は「江戸時代の南海地震で、これだけ広範囲に堆積物が見つかった例はなく、今後の地震対策にもいかせるのではないか」と話している。
【南海地震】
東海沖から四国沖の南海トラフ(海溝)沿いで、100~150年周期で発生するプレート型の巨大地震。東海・東南海地震と同時発生した1707年の宝永地震はM8.6で国内最大級とされる。直近は1946年の昭和地震。今後30年以内の発生確率は60%で、淡路島南部で最大5m以上、神戸市でも最大2.5mの津波が予測されている。
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神戸市で江戸時代の南海地震の津波痕跡を発見 <MSN産経 2011/01/27 21:09>を添削
神戸市は2011/01/27、神戸市中央区の旧外国人居留地で、江戸時代に発生した南海地震の津波で堆積した砂の地層が見つかったと発表した。マグニチュード8を超えたとされる1707年の宝永地震か1854年の安政南海地震の痕跡とみられ、神戸市は「南海地震の津波が神戸まで達した証拠。今後の防災につなげたい」としている。
地層は(現在の)海岸線から約500mの神戸市危機管理センター建設予定地で発見。同志社大学教授(堆積学)の増田富士雄が鑑定した。
地下約1.5mの砂の層で、泥がほとんど含まれておらず、海から運ばれたとみられる。砂粒が南北の方向に将棋倒しに並んでいることから、川などの氾濫によるものではなく、津波の強力な水流に運ばれたとみられる。
この地層の上下に明治期に整地された層と江戸初期の層を確認。堆積物の年代を絞り込んだ結果、宝永地震と安政南海地震のいずれかによる津波の痕跡の可能性が大きいと判断した。
また、砂の層は当時の標高2mの部分にあたることも判明。江戸時代の津波被害については、大阪や和歌山などについて文献などに記録が残っているが、神戸が被害にあったことを示す文献などはなく、神戸市は神戸にも津波被害があったことを裏付ける資料として注目している。
増田は「年代が比較的よく分かっており、地震による津波の被害を理解するうえで意義がある」と説明している。
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# 神戸市危機管理センター:神戸市中央区江戸町 神戸市役所3号館別館、及び、江戸町車庫敷地
神戸市教育委員会は2011/01/27、神戸市中央区江戸町の旧神戸外国人居留地遺跡の地層から、江戸時代の南海地震による津波の痕跡を確認した、と発表した。江戸時代の地層に、海から押し寄せたとみられる砂が堆積していた。過去の南海地震では西日本各地に津波の被害が報告されているが、神戸で津波の痕跡が見つかったのは初めて。
神戸市教育委員会によると、旧神戸外国人居留地遺跡では明治時代の建物跡などが発掘されている。2009~2010年の調査で掘った長さ約15mの地層断面を、同志社大教授(堆積学)の増田富士雄が分析した。
津波の痕跡が見つかったのは、明治時代に整地された地層(地下約1.5m)のすぐ下にある江戸時代の地層。約30cmにわたり、泥を含まないきれいな砂が積もっていた。砂は波によって押し寄せたり、ひいたりする津波特有の配列で積み重なっていたという。その下は川の氾濫によるとみられる泥の混じった砂が堆積していた。
堆積物があったのは標高1.7~2.0mだったため、津波の高さは2.5m前後と推定。この地点で波が7~8往復したことが分かったという。
江戸時代には、1605年(慶長)、1707年(宝永)、1854年(安政)の3度、南海地震が起きたが、地層の位置から安政、宝永いずれかの地震によるものとみられる。
江戸時代の文献によると、大阪では宝永、安政ともに地震による大きな被害があったことが分かっており、宝永では「溺死者1万人」との記録もあるという。しかし、神戸での津波記録はこれまでなかった。
神戸市教育委員会文化財課 学芸員の千種浩は「江戸時代の南海地震で、これだけ広範囲に堆積物が見つかった例はなく、今後の地震対策にもいかせるのではないか」と話している。
【南海地震】
東海沖から四国沖の南海トラフ(海溝)沿いで、100~150年周期で発生するプレート型の巨大地震。東海・東南海地震と同時発生した1707年の宝永地震はM8.6で国内最大級とされる。直近は1946年の昭和地震。今後30年以内の発生確率は60%で、淡路島南部で最大5m以上、神戸市でも最大2.5mの津波が予測されている。
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神戸市で江戸時代の南海地震の津波痕跡を発見 <MSN産経 2011/01/27 21:09>を添削
神戸市は2011/01/27、神戸市中央区の旧外国人居留地で、江戸時代に発生した南海地震の津波で堆積した砂の地層が見つかったと発表した。マグニチュード8を超えたとされる1707年の宝永地震か1854年の安政南海地震の痕跡とみられ、神戸市は「南海地震の津波が神戸まで達した証拠。今後の防災につなげたい」としている。
地層は(現在の)海岸線から約500mの神戸市危機管理センター建設予定地で発見。同志社大学教授(堆積学)の増田富士雄が鑑定した。
地下約1.5mの砂の層で、泥がほとんど含まれておらず、海から運ばれたとみられる。砂粒が南北の方向に将棋倒しに並んでいることから、川などの氾濫によるものではなく、津波の強力な水流に運ばれたとみられる。
この地層の上下に明治期に整地された層と江戸初期の層を確認。堆積物の年代を絞り込んだ結果、宝永地震と安政南海地震のいずれかによる津波の痕跡の可能性が大きいと判断した。
また、砂の層は当時の標高2mの部分にあたることも判明。江戸時代の津波被害については、大阪や和歌山などについて文献などに記録が残っているが、神戸が被害にあったことを示す文献などはなく、神戸市は神戸にも津波被害があったことを裏付ける資料として注目している。
増田は「年代が比較的よく分かっており、地震による津波の被害を理解するうえで意義がある」と説明している。
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# 神戸市危機管理センター:神戸市中央区江戸町 神戸市役所3号館別館、及び、江戸町車庫敷地
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