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明石市:副市長2人辞職 市長北口の退任に呼応 <MSN産経 2011/05/01 01:47>を添削
明石市は2011/04/30、副市長の友國仁男(62)と村松克行(61)が同日付で退職したと発表した。両副市長は「市長 北口寛人の選任を受けて就任しており、市長の任期満了に合わせて退任したい」として2011/04/28、北口に退職願を提出し、2011/04/30に受理された。
任期満了の2011/04/30に北口は市長を退任。2011/04/24に投開票された市長選で初当選した新市長の泉房穂(47)は2011/05/02に初登庁、就任式に臨む。泉は当選後の会見で、「新市政の人事については、できる限り現在の体制を引き継ぎたい」としていたが、就任を前に副市長2人が辞職したことで、泉は新たな人選を迫られることになった。
~~~~
明石市長選:泉が激戦制す <asahi.com 2011/04/25>を添削
当選確実となり、支援者と抱き合って喜ぶ泉房穂=明石市天文町2丁目
明石市長 北口寛人の退任に伴う明石市長選は、泉房穂(47、弁護士、社会福祉士、元民主党衆院議員兵庫2区比例復活)が、組織戦を展開した宮野敏明(59、元兵庫県東播磨県民局長)を69票差で抑え、初当選した。
23時すぎに明石市天文町2丁目の事務所に駆けつけた泉は「やったー」「よう勝った、よう勝った」と絶叫しながら支援者一人ひとりと抱き合った。
組織に頼らない選挙戦を展開した泉は「市民一人ひとりの力を頼りに戦い、勝つことができた」と述べ、市長給与3割カットや市議の定数削減といった行財政改革に加え、中学校給食の導入などで「将来の明石を支える子どもたちを応援したい」と抱負を語った。運休しているたこフェリーについても「再開に全力で取り組む」と述べた。
一方、経済界などから立候補を要請された宮野は、明石市大明石町1丁目の事務所で「努力不足かもしれないが、(選挙)期間が短かった。できるだけやったが力が及ばなかった」と淡々と語った。
民主党、自民党から推薦を得て、各種団体の推薦も受けて組織戦を展開。「安定した市政運営」を掲げた。民主党県連幹事長の藤井訓博は「民主、自民も推薦して、それでも負けたのは、既成政党への不信という逆風が吹いていたのではないか」と話した。
告示後4回の応援演説に入った兵庫県知事の井戸敏三は、事務所で開票を見守った。「推薦団体を足してみればもっと楽にいくと思っていた。明石のことはよくわからない」とつぶやいた。
~~~~
知事が応援して勝つ大阪府、知事が応援して負ける兵庫県。
明石市は2011/04/30、副市長の友國仁男(62)と村松克行(61)が同日付で退職したと発表した。両副市長は「市長 北口寛人の選任を受けて就任しており、市長の任期満了に合わせて退任したい」として2011/04/28、北口に退職願を提出し、2011/04/30に受理された。
任期満了の2011/04/30に北口は市長を退任。2011/04/24に投開票された市長選で初当選した新市長の泉房穂(47)は2011/05/02に初登庁、就任式に臨む。泉は当選後の会見で、「新市政の人事については、できる限り現在の体制を引き継ぎたい」としていたが、就任を前に副市長2人が辞職したことで、泉は新たな人選を迫られることになった。
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明石市長選:泉が激戦制す <asahi.com 2011/04/25>を添削
当選確実となり、支援者と抱き合って喜ぶ泉房穂=明石市天文町2丁目
明石市長 北口寛人の退任に伴う明石市長選は、泉房穂(47、弁護士、社会福祉士、元民主党衆院議員兵庫2区比例復活)が、組織戦を展開した宮野敏明(59、元兵庫県東播磨県民局長)を69票差で抑え、初当選した。
23時すぎに明石市天文町2丁目の事務所に駆けつけた泉は「やったー」「よう勝った、よう勝った」と絶叫しながら支援者一人ひとりと抱き合った。
組織に頼らない選挙戦を展開した泉は「市民一人ひとりの力を頼りに戦い、勝つことができた」と述べ、市長給与3割カットや市議の定数削減といった行財政改革に加え、中学校給食の導入などで「将来の明石を支える子どもたちを応援したい」と抱負を語った。運休しているたこフェリーについても「再開に全力で取り組む」と述べた。
一方、経済界などから立候補を要請された宮野は、明石市大明石町1丁目の事務所で「努力不足かもしれないが、(選挙)期間が短かった。できるだけやったが力が及ばなかった」と淡々と語った。
民主党、自民党から推薦を得て、各種団体の推薦も受けて組織戦を展開。「安定した市政運営」を掲げた。民主党県連幹事長の藤井訓博は「民主、自民も推薦して、それでも負けたのは、既成政党への不信という逆風が吹いていたのではないか」と話した。
告示後4回の応援演説に入った兵庫県知事の井戸敏三は、事務所で開票を見守った。「推薦団体を足してみればもっと楽にいくと思っていた。明石のことはよくわからない」とつぶやいた。
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知事が応援して勝つ大阪府、知事が応援して負ける兵庫県。
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毎日放送 VOICE■「たこフェリーに影響 明石市長の問題発言をただす」2010/12/24 放送
http://www.mbs.jp/voice/special/201012/24_31009.shtml
を添削
先月運航を休止した「たこフェリー」についての発言をめぐり、出資している明石市長の北口寬人がピンチに立たされています。
これまで「たこフェリー」の運航継続に力を尽くしてきた北口寬人ですが、それが私利私欲のためだった疑惑が浮上。 「VOICE」が入手した録音を元に検証します。
<録音テープの声>
「今回の『たこフェリー』はな、みんな見てる。みんな見てるんですよ。厳しいことも知ってる。逆境であることも知ってる。せやけど、なんとしてもやらんかったら…」
先月営業停止した「たこフェリー」について語る男性。
これは「たこフェリー」に出資する明石市長の北口寬人の声だ。
我々が独自に入手したこのテープ。
明石市長 北口寬人はこう続けた。
<明石市長 北口寬人・録音テープ>
「成果をね、3つくらいだしてなかったら次の選挙負けますよ。だから、どうしてもやらなあかん。だから、どうしてもという思いがあるから、まあ頼むよ」
「選挙に負ける?」
明石市長 北口寬人は、2011/04の選挙に勝つために『たこフェリー』を運航し続けなければならないと言っているようだ。
明石市長 北口寬人にとって「たこフェリー」は単なる選挙の道具だったのか?
歩道橋事故の責任をとって辞任した前市長に代わり、2003年に初当選した明石市長 北口寬人。
当時37歳と若さとやる気に満ちあふれていた。
砂浜陥没事故で亡くなった女の子の遺族に対し、明石市の責任を認める姿勢には誠実さも感じられた。
<明石市長 北口寬人>
「私自身も一人の人間として、そして子を持つ親として、しっかりと取り組むということをそれぞれの御霊にお誓いをしたところでございます」
しかしあれから7年、2期目の終盤、経営難に陥った「たこフェリー」を巡る対応には当時の面影はない。
<明石市議会議員>
「もう一回聞きます。言うたんですか、言うてないんですか」
<明石市長 北口寬人>
「さきほども答弁してますように表現の問題です」
果たして明石市長 北口寬人は変わってしまったのか?
その表と裏の顔を追う。
2010/11/15に営業を休止した「たこフェリー」。
形の上では休止だが従業員は全員解雇され、2010/12/18には最後のフェリー「あさかぜ丸」も売却のため明石港を出港し運航再開は難しい状況だ。
<「たこフェリー」元船長>
「港の中で施設だけあって、岸壁だけあって船がないという状態なので、やっぱり寂しいですよね」
しかしこうなったのには、明石市長 北口寛人の「たこフェリー」を巡る対応のまずさを指摘する声が上がっていた。
<明石市議 辻本たつや>
「市長が6月に1億円の約束をしたことで『たこフェリー』側も安心してたというか信用してたから」
2010/06、明石市長 北口寬人は「たこフェリー」に対し、「明石市が1億円を支援するので運航を続けて欲しい」と発言したというのだ。
当時「たこフェリー」は2010/09末に運航を休止し、事業の引受先を探すはずだった。
しかし、明石市長 北口寬人の1億円支援発言を信じて2010/11まで運行を続けたのだが、結局1億円の支援はなく、結果として赤字が膨らみ退職金も支払えなくなった。
さらには、運航再開のために残していた最後の1隻「あさかぜ丸」も売る羽目になってしまったのだ。
以前、明石市長 北口寬人は「VOICE」の取材に対し、この「1億円」発言を真っ向から否定していた。
(Q.1億円支援発言について?)
<明石市長 北口寬人>
「いや、それは特にないですね。ただ1億円がというのは実際、資金について見通し自体は年度末まで実施をしていくと営業していくと、1億円程度ショートするなという話については話はあったと…」
この問題は議会でも追及された。
<明石市議 辻本たつや>
「市長の言動が運航再開を困難な状況に追いこんでいるのではと思っております。1億円支援の約束。人を出すという約束。これについて市長の見解をお聞きしたい」
<明石市長 北口寬人>
「まず議員はその場にいらっしゃらないわけですから正確に申し上げますと、私はその会議には出ておりません」
<明石市議会 辻本議員>
「『たこフェリー』との面談記録でございます。2010/06/11 金曜日。場所は301応接室、市長室の隣です。この記録は当時の面談記録であります。発言は、市長は会議に出席してなかったと言われましたけどね、発言は、市長から始まっています。一部読み上げます。『この秋にフェリーを廃止するというようなメールを見たが、いったいどういうことか』」
なんと、「1億円発言」があったとされる、2010/06の面談記録が公文書として残されていた。
その中で・・・
「1億円でフェリーが存続されるなら株主として、来年度その赤字補填をすることは約束する」(議事録)
<明石市議 辻本たつや>
「当日同席された土木部長は、この席上で市長からこういう発言があったと、この記録にあるような発言があったということに間違いないですか」
<明石市土木部長>
「議員のご指摘につきましてはそのように発言されまして、議事録にしたものでございます」
突然、明石市長 北口寛人の側近だった幹部職員からも「発言はあった」と証言された。
<明石市長 北口寬人>
「『支援を求められてることについて検討します』ということについては、全体の雰囲気として申し上げたということであって」
<明石市議 辻本たつや>
「ほな、この文書は何ですか」
<明石市長 北口寬人>
「それはだから、私が言っているのが事の経緯の真実でありまして、なぜそれが面談でそのような文書が残っているのか私もわからないところでございます」
明石市長 北口寬人はいいかげんな「1億円支援」の発言をしてまで、なぜ「たこフェリー」の存続を望んだのか。
その答えのヒントともとれる発言が、あの録音テープの中にあった。
<明石市長 北口寬人・録音テープ>
「航路が維持できなかったら政治的な足場をなくすで。どうやってもやれるようにしないと。少なくとも来年4月(2011/04)までは。そこまでどうやって引っ張ろうか思って必死や、こっちも。はっきり言ってその後はよろしいやん」
明石市長 北口寬人が望んだ「たこフェリー」の存続は、利用者のためではなく2011/04の明石市長選を見据えてのアピールだったのか。
現役の明石市職員も、明石市長 北口寬人の無責任な発言に困惑気味だ。
<明石市現役職員>
「来られたときは非常に期待も高かって、私たちも今までと違う若いエネルギーですから市役所改革を推進してくれるなと期待感はすごくありました。それがだんだん見えてきた場合に、私利私欲に走るとか自分の次の選挙のためとか、パフォーマンス的なことが結構見えてきたので許せないというのがあります」
「たこフェリー」の問題以外でも発言に責任を持たないことはよくあるという。
<明石市現役職員>
「二転三転、政策がしていくとか思いつきでやられる場合が多いので、『思いつきでやめや』というようなふうになると現場は大混乱ですね」
強引ともいえるやり方で、明石市政を引っ張ってきた明石市長 北口寛人、一方で明石市職員の信用は失っていたようだ。
<明石市議>
「市長としての責任を強く問うことを決議する」
2010/12の本会議最終日。
明石市長 北口寛人に対し、これまでの虚偽発言を理由に問責決議案が出された。
<明石市議会議長>
「ご賛成のかたはご起立願います。賛成多数。よって本案は原案通り可決することに決しました」
<明石市長 北口寛人>
「申し訳ございませんでした」
明石市長 北口寛人の発言に振り回されたかたちとなった「たこフェリー」の元船長は、今も運航再開を望んでいる。
<『たこフェリー』元船長>
「『なんでそういうあやふやなことをしたんや』という思いはありましたけども、私ら従業員として、なんとか復帰を期待していますので」
明石市は運航再開に向けてぎりぎりの交渉を続けているが、フェリーを売却した以上、再開のめどは立っておらず船員の再雇用も厳しい状況だ。
~~~~
明石市長 北口寛人が退任へ 来春選挙に立候補せず <神戸新聞 2010/12/11>を添削
明石市長の北口寛人(45)は2010/12/10、2011/04の統一地方選で予定されている明石市長選に立候補しない意向を、有力支持者や議会関係者に伝えた。北口は3選に意欲を見せてきたが、2010/12以降、市政運営をめぐる明石市幹部との対立が決定的となり、明石市議会での虚偽答弁や支援者への便宜供与といった問題が次々と明るみに出たこともあって断念したとみられる。
関係者によると、北口は「家族や後援会と相談し、2011/04の任期満了をもって明石市長職を退きたい。残りの任期はしっかり全うしたい」などと述べたという。
北口は1999年の兵庫県議選に民主党公認で立候補して当選した。2003年、当時の明石市長の岡田進裕が歩道橋事故などの責任を取って辞任したことに伴う市長選で初当選、2007年に再選された。
2010年夏の参院選で、みんなの党から立候補を打診されたが、「市長任期を全うしたい」と固辞。2010/12/07の明石市議会本会議では、3選について「思いはあるが、結論には至っていない」と答弁していた。
明石市長選をめぐっては、これまで立候補に向けた動きはない。
~~~~
議事録に市長答弁と異なる記録 明石市議会で判明 <神戸新聞 2010/12/07>を添削
運航休止に追い込まれた明石淡路フェリー(たこフェリー)への経営支援をめぐり、明石市長の北口寛人は2010/12/07の明石市議会で、1億円の赤字補填を明石淡路フェリーに約束した事実を否定したが、直後に明石淡路フェリーとの面談内容の議事録が示され、明石市の担当部長らが事実と認めた。議事録は市長が知らないまま作成・公開されており、明石市の幹部たちが市長に造反した形だ。
北口は2010/09の明石市議会でも「約束」について否定しており、市議側は虚偽答弁と問題視。野党を中心に問責決議案の提出も検討している。
一般質問に立った市議の辻本達也(共産)の情報公開請求に基づき、明石市が議事録を公開。2010/06/11、航路廃止の意向を伝えた明石淡路フェリー社長に北口が「1億円でフェリーが存続されるなら、株主として2011年度、赤字補填することは約束する」などと述べていた。
北口は2010/12/07の一般質問でも、あらためて約束を否定したが、辻本が議事録を示し、明石市の担当部長らに事実関係をただしたところ、2人の部長が「議事録に間違いはない」などと答えた。
虚偽答弁を指摘された北口は「部下が私の一言二言をとらまえて議事録にした。心外だ」とした上で「虚偽はしていない」と答弁した。
議事録は市長名で公開されたが、明石市の担当部長らが「公開決定は部長決裁が通例」として、市長に情報を上げずに処理していた。
毎日放送 VOICE■「たこフェリーに影響 明石市長の問題発言をただす」2010/12/24 放送
http://www.mbs.jp/voice/special/201012/24_31009.shtml
を添削
先月運航を休止した「たこフェリー」についての発言をめぐり、出資している明石市長の北口寬人がピンチに立たされています。
これまで「たこフェリー」の運航継続に力を尽くしてきた北口寬人ですが、それが私利私欲のためだった疑惑が浮上。 「VOICE」が入手した録音を元に検証します。
<録音テープの声>
「今回の『たこフェリー』はな、みんな見てる。みんな見てるんですよ。厳しいことも知ってる。逆境であることも知ってる。せやけど、なんとしてもやらんかったら…」
先月営業停止した「たこフェリー」について語る男性。
これは「たこフェリー」に出資する明石市長の北口寬人の声だ。
我々が独自に入手したこのテープ。
明石市長 北口寬人はこう続けた。
<明石市長 北口寬人・録音テープ>
「成果をね、3つくらいだしてなかったら次の選挙負けますよ。だから、どうしてもやらなあかん。だから、どうしてもという思いがあるから、まあ頼むよ」
「選挙に負ける?」
明石市長 北口寬人は、2011/04の選挙に勝つために『たこフェリー』を運航し続けなければならないと言っているようだ。
明石市長 北口寬人にとって「たこフェリー」は単なる選挙の道具だったのか?
歩道橋事故の責任をとって辞任した前市長に代わり、2003年に初当選した明石市長 北口寬人。
当時37歳と若さとやる気に満ちあふれていた。
砂浜陥没事故で亡くなった女の子の遺族に対し、明石市の責任を認める姿勢には誠実さも感じられた。
<明石市長 北口寬人>
「私自身も一人の人間として、そして子を持つ親として、しっかりと取り組むということをそれぞれの御霊にお誓いをしたところでございます」
しかしあれから7年、2期目の終盤、経営難に陥った「たこフェリー」を巡る対応には当時の面影はない。
<明石市議会議員>
「もう一回聞きます。言うたんですか、言うてないんですか」
<明石市長 北口寬人>
「さきほども答弁してますように表現の問題です」
果たして明石市長 北口寬人は変わってしまったのか?
その表と裏の顔を追う。
2010/11/15に営業を休止した「たこフェリー」。
形の上では休止だが従業員は全員解雇され、2010/12/18には最後のフェリー「あさかぜ丸」も売却のため明石港を出港し運航再開は難しい状況だ。
<「たこフェリー」元船長>
「港の中で施設だけあって、岸壁だけあって船がないという状態なので、やっぱり寂しいですよね」
しかしこうなったのには、明石市長 北口寛人の「たこフェリー」を巡る対応のまずさを指摘する声が上がっていた。
<明石市議 辻本たつや>
「市長が6月に1億円の約束をしたことで『たこフェリー』側も安心してたというか信用してたから」
2010/06、明石市長 北口寬人は「たこフェリー」に対し、「明石市が1億円を支援するので運航を続けて欲しい」と発言したというのだ。
当時「たこフェリー」は2010/09末に運航を休止し、事業の引受先を探すはずだった。
しかし、明石市長 北口寬人の1億円支援発言を信じて2010/11まで運行を続けたのだが、結局1億円の支援はなく、結果として赤字が膨らみ退職金も支払えなくなった。
さらには、運航再開のために残していた最後の1隻「あさかぜ丸」も売る羽目になってしまったのだ。
以前、明石市長 北口寬人は「VOICE」の取材に対し、この「1億円」発言を真っ向から否定していた。
(Q.1億円支援発言について?)
<明石市長 北口寬人>
「いや、それは特にないですね。ただ1億円がというのは実際、資金について見通し自体は年度末まで実施をしていくと営業していくと、1億円程度ショートするなという話については話はあったと…」
この問題は議会でも追及された。
<明石市議 辻本たつや>
「市長の言動が運航再開を困難な状況に追いこんでいるのではと思っております。1億円支援の約束。人を出すという約束。これについて市長の見解をお聞きしたい」
<明石市長 北口寬人>
「まず議員はその場にいらっしゃらないわけですから正確に申し上げますと、私はその会議には出ておりません」
<明石市議会 辻本議員>
「『たこフェリー』との面談記録でございます。2010/06/11 金曜日。場所は301応接室、市長室の隣です。この記録は当時の面談記録であります。発言は、市長は会議に出席してなかったと言われましたけどね、発言は、市長から始まっています。一部読み上げます。『この秋にフェリーを廃止するというようなメールを見たが、いったいどういうことか』」
なんと、「1億円発言」があったとされる、2010/06の面談記録が公文書として残されていた。
その中で・・・
「1億円でフェリーが存続されるなら株主として、来年度その赤字補填をすることは約束する」(議事録)
<明石市議 辻本たつや>
「当日同席された土木部長は、この席上で市長からこういう発言があったと、この記録にあるような発言があったということに間違いないですか」
<明石市土木部長>
「議員のご指摘につきましてはそのように発言されまして、議事録にしたものでございます」
突然、明石市長 北口寛人の側近だった幹部職員からも「発言はあった」と証言された。
<明石市長 北口寬人>
「『支援を求められてることについて検討します』ということについては、全体の雰囲気として申し上げたということであって」
<明石市議 辻本たつや>
「ほな、この文書は何ですか」
<明石市長 北口寬人>
「それはだから、私が言っているのが事の経緯の真実でありまして、なぜそれが面談でそのような文書が残っているのか私もわからないところでございます」
明石市長 北口寬人はいいかげんな「1億円支援」の発言をしてまで、なぜ「たこフェリー」の存続を望んだのか。
その答えのヒントともとれる発言が、あの録音テープの中にあった。
<明石市長 北口寬人・録音テープ>
「航路が維持できなかったら政治的な足場をなくすで。どうやってもやれるようにしないと。少なくとも来年4月(2011/04)までは。そこまでどうやって引っ張ろうか思って必死や、こっちも。はっきり言ってその後はよろしいやん」
明石市長 北口寬人が望んだ「たこフェリー」の存続は、利用者のためではなく2011/04の明石市長選を見据えてのアピールだったのか。
現役の明石市職員も、明石市長 北口寬人の無責任な発言に困惑気味だ。
<明石市現役職員>
「来られたときは非常に期待も高かって、私たちも今までと違う若いエネルギーですから市役所改革を推進してくれるなと期待感はすごくありました。それがだんだん見えてきた場合に、私利私欲に走るとか自分の次の選挙のためとか、パフォーマンス的なことが結構見えてきたので許せないというのがあります」
「たこフェリー」の問題以外でも発言に責任を持たないことはよくあるという。
<明石市現役職員>
「二転三転、政策がしていくとか思いつきでやられる場合が多いので、『思いつきでやめや』というようなふうになると現場は大混乱ですね」
強引ともいえるやり方で、明石市政を引っ張ってきた明石市長 北口寛人、一方で明石市職員の信用は失っていたようだ。
<明石市議>
「市長としての責任を強く問うことを決議する」
2010/12の本会議最終日。
明石市長 北口寛人に対し、これまでの虚偽発言を理由に問責決議案が出された。
<明石市議会議長>
「ご賛成のかたはご起立願います。賛成多数。よって本案は原案通り可決することに決しました」
<明石市長 北口寛人>
「申し訳ございませんでした」
明石市長 北口寛人の発言に振り回されたかたちとなった「たこフェリー」の元船長は、今も運航再開を望んでいる。
<『たこフェリー』元船長>
「『なんでそういうあやふやなことをしたんや』という思いはありましたけども、私ら従業員として、なんとか復帰を期待していますので」
明石市は運航再開に向けてぎりぎりの交渉を続けているが、フェリーを売却した以上、再開のめどは立っておらず船員の再雇用も厳しい状況だ。
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明石市長 北口寛人が退任へ 来春選挙に立候補せず <神戸新聞 2010/12/11>を添削
明石市長の北口寛人(45)は2010/12/10、2011/04の統一地方選で予定されている明石市長選に立候補しない意向を、有力支持者や議会関係者に伝えた。北口は3選に意欲を見せてきたが、2010/12以降、市政運営をめぐる明石市幹部との対立が決定的となり、明石市議会での虚偽答弁や支援者への便宜供与といった問題が次々と明るみに出たこともあって断念したとみられる。
関係者によると、北口は「家族や後援会と相談し、2011/04の任期満了をもって明石市長職を退きたい。残りの任期はしっかり全うしたい」などと述べたという。
北口は1999年の兵庫県議選に民主党公認で立候補して当選した。2003年、当時の明石市長の岡田進裕が歩道橋事故などの責任を取って辞任したことに伴う市長選で初当選、2007年に再選された。
2010年夏の参院選で、みんなの党から立候補を打診されたが、「市長任期を全うしたい」と固辞。2010/12/07の明石市議会本会議では、3選について「思いはあるが、結論には至っていない」と答弁していた。
明石市長選をめぐっては、これまで立候補に向けた動きはない。
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議事録に市長答弁と異なる記録 明石市議会で判明 <神戸新聞 2010/12/07>を添削
運航休止に追い込まれた明石淡路フェリー(たこフェリー)への経営支援をめぐり、明石市長の北口寛人は2010/12/07の明石市議会で、1億円の赤字補填を明石淡路フェリーに約束した事実を否定したが、直後に明石淡路フェリーとの面談内容の議事録が示され、明石市の担当部長らが事実と認めた。議事録は市長が知らないまま作成・公開されており、明石市の幹部たちが市長に造反した形だ。
北口は2010/09の明石市議会でも「約束」について否定しており、市議側は虚偽答弁と問題視。野党を中心に問責決議案の提出も検討している。
一般質問に立った市議の辻本達也(共産)の情報公開請求に基づき、明石市が議事録を公開。2010/06/11、航路廃止の意向を伝えた明石淡路フェリー社長に北口が「1億円でフェリーが存続されるなら、株主として2011年度、赤字補填することは約束する」などと述べていた。
北口は2010/12/07の一般質問でも、あらためて約束を否定したが、辻本が議事録を示し、明石市の担当部長らに事実関係をただしたところ、2人の部長が「議事録に間違いはない」などと答えた。
虚偽答弁を指摘された北口は「部下が私の一言二言をとらまえて議事録にした。心外だ」とした上で「虚偽はしていない」と答弁した。
議事録は市長名で公開されたが、明石市の担当部長らが「公開決定は部長決裁が通例」として、市長に情報を上げずに処理していた。
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