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Sclaps KOBE

神戸に関連する/しない新聞記事をスクラップ。神戸の鉄ちゃんのブログは分離しました。人名は全て敬称略が原則。

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人事院・谷総裁はカッコいい
「渡り」(意味:官僚制度にまつわるさまざまなギャップを越えるための装置)

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明
2009/02/09

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090206/185277/

を骨抜きにしました。
「ミスター渡り」

 渡哲也のことではない。

 新手のミスター名称だ。情報番組のデスクは、人名のアタマに「ミスター」を付加したカタチの放送原稿を好む。ミスター年金、ミスター行革、ミスター円……「人間の顔が見える報道」とか、そういうお話なのであろう。

 彼らは、顔の無い情報はニュースにならないと考えている。だからニュースソースの顔がはっきりしない場合、キャスターの顔芸でニュースにイロをつけにかかる。

 ミスター渡りは、谷公士(まさひと)人事院総裁に冠せられた異名だ。誰が言い出したのかは知らない。マスメディアの中で使われはじめたのは、つい最近のことだ。おそらく今年に入ってからだと思う。この数日で、すっかり定着した。

 今回は、「渡り」および「天下り」について考えてみたい。

 どうして、谷総裁が「ミスター」と呼ばれているのかを考える前に、まず「渡り」について説明しなければならない。

 「渡り」は、「退職した官僚が、短期間のうちに再就職を繰り返し、退職金を何度も受け取ること」を意味している。

 民主党の細野豪志議員が2009/02/03の衆院予算委員会で明らかにしたところによれば、ある元水産庁長官の農水省OBは、退職後、6団体への天下りと「渡り」で、計2億6900万円以上の退職金や報酬を得ていたという。

 すごい。
 まだある。

 民放の番組(「サタズバ」@TBS)で自分の経歴を告白した元公務員の場合、56歳で厚生事務次官を退職して以降の約15年間の間に、報酬・退職金を合わせて3億5000万円ほどの報酬を得たという。

 なるほど。

 在任中、関係機関に対しておこなった便宜供与を、退職後にポスト(および退職金)として受け取っているというふうに考えれば、渡りは時間差を置いた贈収賄と見なすことも可能だ。

 というよりも、ナマの現金を行ったり来たりさせているのは、ポストや人事を動かすことのできない、レベルの低い人たちなのであって、筋目の役人はそんな下品なことはしないのでありましょう。

 「渡り」の様相は、お年玉目当てに年始回りをする小学生の姿に似ていなくもない。いや、むしろ、ナワバリ内の店を回ってみかじめ料を徴収するヤクザだろうか。いずれにしても、うらやましい話だ。

 巷では、この官僚の「渡り」を官庁があっせんしている点が問題視されていて、先日来、「官庁による渡りのあっせん」を廃止(あるいは、法令によって禁止)するのかどうかについて、総理と野党議員の間で白熱したやりとりがあった。

 そんな中、谷総裁率いるところの人事院は、公務員制度改革によって、その権益を大幅に取り上げられる(新設される「内閣人事・行政管理局」に、権限を委譲する)ことになっており、この流れに抵抗すべく、谷総裁自ら、「朝ズバッ!」に生出演するなど、メディア工作に乗り出している。

 また、谷総裁は、平成13年(2001年)に郵政事務次官を退任した後、複数の財団法人などを渡り歩いてきた経歴を持っている人物であったりもする。

 つまり、「ミスター渡り」という名称には、谷総裁本人が、「渡り」を繰り返して現在の地位に就いた人物であることと、「渡り」を防衛する立場で、行革に抵抗している組織の長だという二重の意味が込められているわけだ。

 ただ、「渡り」は、ニュースの用語としては、ちょっとスジがよくない。
 というのも、「渡り」には、「わたり」というまぎらわしい同音異義語があるからだ。
 よく似た顔の異母兄弟。あるいは同姓同名のクラスメートみたいな。

 ウィキペディアで、「わたり」を検索すると、以下の解説を含んだページにたどり着く。

わたりとは、公務員に、実際の職務の内容の当てはまる給与表の級よりも上位の級の給与を支給すること。例えば、主任である職員に、係長並の給与が支給されるといった具合である。昇任せずとも長年勤続すれば上位の級に昇給できる仕組みである。特に東京都・特別区ではこの仕組みを「級格付制度」と称している。――後略――

 ちなみに「渡り」については、まだ項目ができていない(2008年2月8日現在)。

 広辞苑には、両方(「わたり」「渡り」)とも載っていない。広辞苑で「わたり」を引くと、鳥の「渡り」についての解説を読むことができる。勉強にはなるが参考にはならない。

 つまり、「渡り」は、ウィキペディアにさえ取り上げられないほど新しい言葉なのである。

 マスメディアの中でも、「わたり」という音の言葉が、主に「渡り」(つまり、官僚によるつまみ食い就職)を意味するようになったのはごく最近のことだ。

 「わたりの斡旋」という言葉をテレビのニュースで聞いた時に、私が最初に感じた違和感も、ここに由来している。

 ん? 「わたり」って、公務員の給与の話じゃなかったっけ。とすると、それの「斡旋」というのはどういうことだ? と、そう思って、私は混乱したのだ。

 「わたり」と「渡り」は、いずれも公務員の権益にかかわる言葉で、発音も同じなら、使われる場所も似ている。にもかかわらず内容はまるで違っていることになる。

 非常にまぎらわしい。「おざなり」と「なおざり」、「汚職事件」と「お食事券」みたいな、タチの悪い組み合わせだと思う。

 さて、谷総裁だ。

「あんな不遜な官僚は見たことがない」

 と、甘利明行政改革担当相は言ったのだそうだが、確かに、谷氏は、およそ官僚らしくないアングルでレンズを見返している。なんという堂々としたマナー。「公士」という名前も凄い。武士は食わねど公的年金。オレが制度だ、という感じ。

 ふつう、官僚はどんなに偉くなっても、ああいう態度はとらない。特に、テレビに映ったり、政治家の前に立つことになった場合は、外面だけでも謙虚らしくふるまうことになっている。はい、わたくしどもはパブリックサーバントでございます、と、心の中ではどう思っていようと、少なくとも表面的にはへりくだるものだ。で、角度にして5度ぐらい腰をかがめたカタチで、過剰な敬語を使いこなす。慇懃無礼。それが官僚のプロトコルというものだ。

 が、谷総裁は違う。背筋をピンと伸ばし、心持ちアゴを上げたポーズで、左右の記者を睥睨している。大臣に対してもまったく臆するところを見せない。王者の風格だ。

 「なかなかカッコいいおっさんだな」

 と、正直、私はそう思った。うん。昔から私は男前には点が甘い。困った傾向だ。

 とはいえ、この人がカッコいいのは、見かけが美麗だからというのとはちょっと違う。
 よく見れば、年相応に髪が薄くなっているし、それなりにしなびてもいる。
 でも、なんだかイケている。そういうオーラが伝わってくるのである。

 思うに、谷総裁がカッコ良く見えるのは、「自分でカッコ良いと思っている人間独特の振る舞い方」を貫徹しているからだ。

 具体的に言うと、目線の動かし方や、足の運びや、首の傾け方といった、こまごまとした所作のいちいちが二枚目じみているわけだ。

 で、気の弱い庶民であるオレらは、このたたずまいに負けて、白旗をあげてしまうのである。わかった。あんたはイケている、と。

 気持ちの弱い人々は、「いい女みたいにふるまう女」にも、ねじ伏せられる。

 最初のうちは
 「どこがいい女なんだ?」
 と思っていても、最後には根負けする。わかった。オレの負けだ。あんたはたしかにいい女だ、と。

 そんなわけで、川島なお美は、今日もいい女のしゃべり方といい女の歩き方で、渡る世間を全面降伏に追い込んでいる。

 もちろん、絶対に認めない人々もいる。ふん。なーにがワインタレントだか、と。

 が、なおみには何のダメージにもならない。なぜなら、なおみを認めない人々は、決してなおみの前に現れないから。

 さよう。本来なら、なおみを認めない人間は、なおみの前に顔を出して、
 「オレはあんたがいい女だとは認めないぞ」
 と、面と向かってなおみに直言せねばならないのだ。
 が、わざわざそんなことをする人間はいない。最近は、名誉毀損で送検されたりするし。
 無敵だよな。結局。くやしいけど。
 とすれば、ブログを炎上させたくなる人々の気持ちもわかろうというものではないか。

 話がズレた。
(中略)
 本当のことを言うと、谷総裁を見て、私が最初に抱いた感想は、

 「おい、このおっさんはデビッド・ボウイにそっくりだぞ」

 ということだった。


 デビッド・ボウイは、「地球に落ちてきた男」とも呼ばれている。宇宙人ニュートンとして、同名の映画(「地球に落ちてきた男」The man who fell to Earth:ニコラス・ローグ監督 1976年米映画)に主演しているからだ。

 なんだか似ていないか?
 そう。天下りだよ。
 地上に舞い降りた宇宙人・ニュートン。孤独な天人。ジーンジニーの総裁。

 実際、「天下り」という言葉自体、「天孫降臨伝説」に由来している。
 この言葉の背後には、信仰ないしは敬意が介在している、ということだ。

 あるいは、羽衣伝説。本来は地上に降りてくるはずのない高貴な存在であるところの天人が、われら人間の住む下界に降りてくるお話だ。
 役人の天下りにも似たニュアンスがある。

 「東大の法学部を出て、国家公務員試験の上級を通った歴としたエリートが、うちみたいなどうでも良い財団法人に来てくれる」という気分……いや、本当はそんなことはない。官僚の側がどう思っているのかは知らないが、受け入れる側は、アタマに来ている。ちくしょう、ロクに働くわけでもないくせにいきなり御輿の上かよ、と。

 問題は、この「ズレ」にある。

 実態として、お代官でありお上であり、天下る堕天使であるのに、建前の上では、「公僕」すなわち民の下僕てなことになっている。

 欺瞞ですよ、これは。
 実態として、彼らはひとっかけらも下僕なんかじゃないし、自分でそう思ってもいない。
 気分としては、諸国漫遊の途上にある先の副将軍の全能感。控えおろう! ぐらい。

 その昔、幕藩体制下の日本において、世襲官僚たる武家は、身分の上でも上流だった。
 で、維新が成って近代日本がはじまったように見えたもののその実、官僚機構は、お江戸の武家社会の換骨奪胎に過ぎなかった。だから、国家官僚はエリートであり貴族でありセレブであり金持ちであり相変わらずお代官様であり、結局のところ支配階級だった。

 たとえば、森鴎外の時代、彼のような高級官僚は、それはそれは莫大な官費を支給されていた。現在の公務員が受け取っている俸給とは比べることさえ不可能だ。

 よって、ここで金額を表示してみても意味がない。むしろ、彼らが購っていたものを並べる方が現実的だ。すなわち、「都内に庭付きの邸宅を構え、女中を雇い、食客を養い、書生を置いて、ついでのことに神楽坂あたりに瀟洒な妾宅を構えて、それでもお釣りが来るほどの俸給」を、彼らは得ていたのである。

 戦後になって、こういうこと(高級官僚にお殿様の暮らしを保証すること)は不可能になった。
 原理的にも、財政的にも、そんなバカなことはできっこない。制度的にも思想的にも、だ。

 であるから、戦後民主主義下のジャパンでは、国家公務員試験の上級をパスしたキャリア官僚であっても、生涯賃金は、民間の会社員と大差ない水準に落ち着くことになった。というよりも、マスコミや広告業界の社員と比べれば、キャリア官僚の得る生涯賃金は、控えめでさえある。

 と、そうやって考えてみると、これは、気の毒なんではなかろうか。

 だって、彼らは、日本一難しい大学と日本一難しい試験を通って、でもって、若いうちは時給数百円の残業手当で、徹夜続きの勤務を強いられてきた人たちなんだから。

 こんな薄給では、誰も公務員なんか目指さなくなるんじゃないのか……という、この落差を埋めるべく発明されたのが、各種の手当てであり、特典(タダ同然の官舎などなど)であり、退職後の厚遇(天下り、渡り、退職金、年金)だった、と、大筋としては、そういう話なのだと思う。

 文字通りに、法律の条文に書いてあるそのまんまのカタチで制度を適用すると、公務員は、およそ割に合わない稼業になってしまう。なにしろ、スト権さえないんだから。

 で、そういう事情を鑑みて、世間は、公務員がズルけたり、ナマけたり、チョロまかしたりすることを大目に見てきた。
 
 その結果が、「天下り」を産み、さらに「渡り」の蔓延を招来するに至ったのである。

 ピラミッド型の組織図を見ればわかる通り、官僚の世界は、職歴を重ねるほど、ポストが減少する仕組みでできあがっている。

 次官になれる人間は、同期の中で一人だけで、残りの何十人かは、その前の段階のいずれかのポストで定年を迎えることになる。

 そんなわけで、自らの職歴の頂点に到達して、今後昇進の見込みが無くなった官僚に対しては、早めの退職が推奨される。

 たぶん、邪魔だから。というよりも、出世の見込みを持たない「上がり」の官僚は、モチベーション的に使い物にならないのであろう。

 ここまでは良い。
 ポストにあぶれた者は、去るべきだ。
 猿山原理的にも。
 ボス争いに敗れたサルは、はぐれザルとして旅に出る。適者生存。自然界の必然だ。

 ところが、官僚の組織は、一般社会の組織とは、出来上がり方が違う。

 彼らは、はぐれザルのために外郭団体を作る。そして、その外郭団体に正統性を賦与するために業務を捏造する。「公益法人:国営ラッキョウ剥き公団」およびその傘下団体みたいな。

 普通は、仕事があって、その仕事をこなすために役職(ポスト)が設けられる。だから、組織の中の人間は、何らかの業務をこなすために特定のポストに就く。これが順序だ。

 が、官僚機構においては、まずポストがある。で、そのポストを維持するために仕事が捏造され、その仕事に就くために、人員が呼び込まれることになる。順序が逆になっているのだ。

 いや、お役所にあるすべてのポストが不要で、あらゆる業務が架空の書類仕事だと言っているのではない。

 私は官僚制が、幻灯機を捨てないタイプのシステムだという話をしている。だから、幻灯機整備係のポストも継承される。幻灯機そのものが、倉庫に死蔵されて、この50年間何らの映像をも映し出していないのだとしても、だ。

 幻灯機整備係は、幻灯機の油を交換するために、月に一度関西方面に出張する。一方、関西からは、レンズを磨くために、外郭団体の職員が二人の助手を伴って上京してくる。しかし、幻灯機は、昭和26年に行方が分からなくなって以来、誰も見ていない。幻灯機保管係は、ある時期から幻灯機捜索係を兼任しつつ、永遠の出張に出ており、所管の部署では専従の事務員が毎月数百枚の書類を……うん、カフカの世界だな。

 いずれにしろ、官僚機構の究極的な存在理由は、官僚機構それ自体の維持と拡大にある。

 彼らは、新陳代謝の結果不要になった皮膚や角質を、決して捨てない。そして、そういう垢だとか爪だとか抜けた体毛みたいなもののために、外部に働き場(特殊法人ね)を用意し、その外郭団体のために予算折衝をし、またそのための人員を確保しにかかっている。

 生物学の世界では、未成熟な固体が子を為すことを「幼形成熟」(ネオテニー)と呼ぶ。

 実例としては、アホロートルの例が名高い。
 アホなロートルではない。ストップ、森元首相の悪口はそこまで。アホロートル。またの名をウーパールーパー。淡水に棲むサンショウウオの類で、幼生の特徴(エラが外部に露出している)を残したままで、性成熟する。そういう浮世離れした生き物だ。

 つまりアレです。職業人として職歴を全うしていないにもかかわらず退職金だけは一人前に貰うということを、何度も繰り返すわけで、これは、一種のネオテニー(幼形成熟)なのである。

 解決策としては、やはり、公務員制度改革を断行するしかない。

 で、厚遇されている公務員の特権をすべて引き剥がし、無能な組の人々は露頭に迷っていただき、怠け癖のついた連中には痛い目を見てもらう。

 と、そうやって、官僚をいじめると、この国は良くなるのだろうか。
 実はそこのところはまだ見えていない。

 現状ではっきりしているのは、公務員を攻撃すると人気者になれるぞ、という、選挙対策上の実利だけだったりする。

 橋下徹大阪府知事や、渡辺善美前行革担当相みたいな人たちが英雄視されている背景には、官僚攻撃という芸風があずかっている。

 スジとしては政治家が官僚を使いこなすべきなのであろう。
 でも、現実にそんなことが可能なのだろうか。
 つまり、選挙に通っただけの薄っぺらな人間が、難しい試験を通った優秀な人間を使いこなすということは、原理的に不可能なんではないのかということだ。

 私は無理だと思っている。
 というのも、知っている限りの顔を思い浮かべてみるに、官僚の方が政治家よりも優秀で、見識が高いように思えるからだ。

 公務員制度改革は必要だと思う。
 公務員から既得権益を取り上げるべきだという意見にも賛成だ。

 でも、官僚から取り上げた権益を握ることになるのが、政治家になるのだとすると、事態はさらに悪くなる気がする。私はその点を心配している。

 なんとなれば、政治家というのは、役人以上に手に負えない人たちだからだ。

 役人はせいぜい私腹を肥やすぐらいなことしかしない。そう思えば、そのもたらす害悪もたかが知れている。

 一方、政治家は、国を動かし、歴史を変えようとする。
 とんでもない話だと思う。

 ん? 政治家は、官僚と違って、選挙によって民意のチェックを受けているから安全だと?

 むしろ、だからこそこわい気がするなあ。
 たとえばの話、宮崎県知事の人気や大阪府知事の支持率について、誰か合理的な説明ができる人がいますか?
 私はひたすらに怖いです。
 アタマがどげんかしそうです。
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