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神戸に関連する/しない新聞記事をスクラップ。神戸の鉄ちゃんのブログは分離しました。人名は全て敬称略が原則。

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【風(1)新型インフル】日本人は熱しやすく冷めやすい? <MSN産経 2010/05/17>

 白い防護服に身を包んだ検疫官が飛行機内に入り、乗客の健康状態を厳重にチェックする。
 関西国際空港などでは1年前、映画のワンシーンのようなものものしい光景が繰り広げられた。海外で拡大した新型インフルエンザの感染防止を図る水際作戦だった。

 しかし2009/05/09、カナダから帰国した大阪府寝屋川市の高校生らが初感染。1週間後、大阪府茨木市や神戸市内の高校で集団感染が確認された。関西を中心に、小中学校などでは学校・学級閉鎖が相次ぎ、地域イベントは自粛、デパ地下の食品売り場では試食も中止…。市民生活は大混乱に陥った。

 衆院選を数カ月後に控えた当時、立候補予定者の各陣営もピリピリムードだった。「街頭演説中に支持者が感染したら一大事」と、立候補予定者が有権者との握手を自粛するケースも。ライバル陣営の動き以上に、見えないウイルスへの対応に追われた。

 国内感染は2009/11末をピークに減り続け、厚生労働省は2010/03末に事実上の終息宣言。死者数は199人、急性脳症などの重症患者数は1557人(2010/05/11現在)で、結果的に、致死率は季節性インフルエンザより大幅に低かった。ワクチンも今や約8400万回分がだぶつき、数百万回分が廃棄対象となっている。

 あれほど新型に振り回され続けたのは、未知のウイルスだけにやむを得なかったのか。それとも、日本人特有の熱しやすく冷めやすい風潮が後押ししたのだろうか。

 「マスコミ特有の『一番目報道』が騒ぎをあおったのでは」と指摘するのは、朝野和典・大阪大学医学部感染制御部教授。初感染が確認された高校には、報道陣が早朝から詰めかけ、連日の取材合戦が繰り広げられた。「一番目報道が国民にとってどれほど意味があったのか。事実を冷静に伝えることが大事なのに…」。今となっては、朝野教授の言葉が身にしみる。

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【風(2)新型インフル】被害者なのに…責任追及の矢面に <MSN産経 2010/05/18>

 「高校生が新型インフルエンザに集団感染したらしい。すぐ走ってくれ」

 2009/05/16夕、筆者の携帯電話に、社会部デスクの声が響いた。大阪府茨木市の私立高校で約100人が症状を訴え、9人が感染濃厚という。福井支局から大阪本社の社会部に異動してまだ2週間。「いきなり新型インフルエンザとは…」と身が引き締まった。

 その日は深夜まで、茨木市役所で対策会議の様子を取材。翌朝、当該高校に行くと、大勢の記者が集まっていた。みんなマスク姿。「異様な光景だなあ」と思ったが、ふと筆者だけマスクを着けていないことに気付いた。慌てて近くのコンビニに行ったが、すでに売り切れ。店員に聞くと、報道された直後から、急にマスクを買い求める人が殺到したという。

 やむなくマスクなしで取材を始めたが、くしゃみが出るたびに周囲から白い目で見られた。「これは花粉症なのに…」。身の縮まる思いだった。

 この学校では、関係者は特にマスクの着用を徹底し、拡大を防ごうと懸命だった。それでも学校には「感染を隠していたんじゃないのか」「日本中に死人を出すつもりか」など、心ない中傷の電話が相次いだ。

 学校関係者は、感染対策だけでなく、世間の目も気にしなければならなかった。「生徒や保護者、社会に対してひたすら申し訳ありません」。教頭が何度も謝罪の言葉を述べる姿が痛々しかった。

 「日本中で水際対策が叫ばれていた中、本校の生徒が大量感染した。ふと頭に浮かんだのは、エボラ出血熱などの(激烈な)伝染病。最悪の場合、国中の人が次々と倒れる事態まで考えた」と教頭は振り返る。とにかく、治療法や対応策が分からず、不安ばかりだった。

 被害者であるはずの感染者が、なぜか責任追及の矢面に立たされた。それは、見えないウイルスに対する社会全体の不安の裏返しだったのだろうか。

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【風(3)新型インフル】ワクチン争奪戦の後遺症、今も <MSN産経 2010/05/19>

 インフル騒動の象徴ともいえるのが、ワクチン。生産が昨年秋の感染のピーク時に間に合わず、大幅に不足したかと思えば、年明け以降は感染者が急減し、大量にだぶつく事態となった。

 ワクチンメーカーが4社しかない日本では当初、供給不足が予測され、接種の優先順位がつけられた。診察にあたる医師らは2009/10中旬、妊婦や重い持病の患者は2009/11、高齢者は2010/01などと定められた。

 冬場の流行期を前に、ワクチン不足を心配する声が高まり、鳥取県内の病院では2009/11、医師らに限定されていたワクチンを病院職員の孫らに接種していたことが発覚。「身内優遇だ」と批判が集中した。

 「新型のワクチンはまだ病院になく、とりあえず季節性インフルエンザのワクチンを2009/10ごろに打ってもらった」と話すのは、84歳になる筆者の父親。年が明けて新型ワクチンの接種を医師から勧められたが、「すでに周りはだれもマスクをしていなかったし、今さらいいかと考えて」接種を受けなかった。

 厚生労働省によると、国産ワクチン5400万回分のうち、在庫は2010/02現在で3110万回分。輸入ワクチンは5300万回分のうち、出荷されたのは、流行がほぼ収束した2010/03になってもわずか約4000回分で、国産と輸入分で計約8400万回分が余っている。

 接種回数が当初予定の2回から原則1回になったこともあるが、結果論とはいえ、果たして輸入まで必要だったのかという疑問は大いに残った。

 「日本は、世界中からワクチンを買い占めたと言われかねない」と指摘するのは、朝野和典・大阪大学医学部感染制御部教授。「先進国と発展途上国で医療体制に差があり、同じウイルスでも致死率は国によって大きく異なる。途上国では病院で治療を受けることすら難しく、そういう国にこそワクチンは必要」と強調する。

 国を挙げて確保に走ったワクチン争奪戦は、今や昔話に。だが、「あのときワクチンがあれば…」「残った在庫を何とかして」という声はなお残り、患者や医師らを振り回し続けた争奪戦の“後遺症”は、今も続いている。

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【風(4)新型インフル】体調より「感染差別」に不安 <MSN産経 2010/05/20>

 「出社に及ばず」「海外出張禁止」…。アメリカなどで新型インフルエンザが猛威をふるい始めた2009/05、国内企業などは感染防止策として、海外からの帰国社員の自宅待機など、次々と措置を打ち出した。

 報道機関も他人事ではなかった。弊社も当時、海外渡航者に対しては帰国後6日間の自宅待機、国内在住者は、家族が発症すれば本人が感染していなくても自宅待機が命じられた。

 一方、感染地域に出向いての現場取材は不可欠。記者たちはマスク着用を徹底した。神戸市内の高校で集団感染が確認された際には、取材拠点の神戸総局にマスク数百枚が急遽配られた。

 ここで、実際に感染した大阪市内の男性会社員(42)の例を紹介したい。発熱や咳などの症状が出たのは2009/12。すでに新型インフルエンザが一般化しつつあったが、男性の職場ではまだ本人感染の例がなく、「職場の誰かに伝染したかもしれない。でも抱えている仕事もあるし…」とあれこれ悩みながら、意を決して近くの医院へ向かった。
 待合室で約1時間。診察室に入ると、おもむろに鼻に綿棒のようなものを突っ込まれ、中でグリグリ。「A型ですね」。医師はあっけなく宣告した。「色がはっきり変わってるでしょ」。採取した粘液をつけた試薬を医師から見せられた男性。「変わってますかね」と聞き返すと、「変わってますよ。私は何例も見てるんだから」。医師は当然といった感じで説明した。

 会社を約1週間休んだが、家族も感染を警戒して近づかず、静養という名の家庭内別居だったそうだ。仕事に無事復帰できたものの、男性は「自分の体調より、まず職場や周囲に対する不安があった」と振り返り、「職場によっては『感染差別』を恐れた人も多いのでは」と話す。

 今後も新しい感染症が流行する可能性は否定できない。その際、ウイルスに強い毒性があるのかどうかをいち早く突き止めることこそ、多くの人々を何より安心させる手だてなのかもしれない。

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【風(5)新型インフル】パート解雇、生活に深刻な影響 <MSN産経 2010/05/24>

 1年前の新型インフルエンザ騒動に関し、さまざまな意見をいただいている。当初は毒性などがはっきりしなかったこともあるが、大きな影響を受けた人が少なからずいたのだと、改めて感じさせられる。

 《全ての販売員にマスクの着用、売場カウンターに消毒液を並べての営業風景は、物々しい姿でした》と、宝くじ販売関連会社の男性営業部長(46)。ドリームジャンボ宝くじが発売された2009/05/18、大阪市内の特設売場の光景を振り返っていた。
 売場では当初、開店に際して「くいだおれ太郎」を呼んでのカウントダウンイベントを予定していたが、時勢に配慮して自粛。会社ではその約3カ月前、強毒性の鳥インフルエンザに対応する行動マニュアルを作成していたが、《ことごとくマニュアルを裏切られ、想定外の対応をすることになった》。
 肝心の売上げは2割以上減少し、《いまだに一昨年並みには回復していません》。男性は《会社の倉庫に眠っている大量の消毒薬とマスク、患者発生時に着用する防護服やゴーグルが、このままの状態で眠り続けてくれることを祈ります》と綴っている。

 生活に深刻な影響をもたらされたケースもある。小、中、高校生の3人の子をもつ大阪府の女性は、新型インフルエンザがきっかけで、パートの仕事を解雇された。
 《公立校が一斉休校になった当日、私が37度の発熱。仕事を早退し、発熱外来の電話番号に何度電話しても話し中。『(当時は)発熱した人は直接病院へ行かないで』と報道されていたので、不安と焦りでパニックになりそうでした》
 女性は翌朝には平熱に戻り、出社しようとしたが、会社側が拒否。1週間後に出勤すると、自席の机やパソコンは《消毒液でベタベタ》だった。その後も、子供が微熱を出すと《新型インフルエンザかも》と当日の出勤を控えるようになり、昨年末に《『よく休む』との理由で解雇されました》。
 女性が記した言葉に、改めて考えさせられた。《未知の病気で専門家にもわからなかったとはいえ、医療機関の対応や、報道のあり方も含めて、今後このような混乱が発生しないように対処してほしい》

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【風(6)新型インフル】学校現場も混乱、「個人情報」の壁 <MSN産経 2010/05/25>

 「事実を確認中です」。2010/5/09早朝、カナダから帰国した大阪府寝屋川市の大阪府立高校生たちが新型インフルエンザに感染した際の緊急記者会見。大阪府教委の幹部らは同じ言葉ばかり繰り返した。

 何しろ国内初の感染例。大阪府教委担当として1カ月しかたっていなかった筆者としては、いらだちが募るばかりだった。「感染者の人数は」「症状は」「渡航先でマスクをしていたのか」。記者たちは矢継ぎ早に質問したが、あやふやな答えしか返ってこない。会見はこの日の夕方までに5回ほど開かれたが、詳細は分からないままだった。大阪府立高校の状況をいち早く知る立場にあるのが大阪府教委のはず。「事実を隠しているんじゃないか」。そんな疑いすら感じた。

 しかし、大阪府教委は本当に詳細を把握していなかったようだ。「会見するにもほとんど情報がなかった。収集する手だても分からなかった」。幹部は、後になって打ち明けた。大阪府教委が厚生労働省に問い合わせた際も、当初は担当窓口すら分からなかった。国民の命を守るという最も重要な時に、国と地方との連携がとれていなかった。感染疑いとされた引率教員と生徒について、検査で最終的に感染確定となった事実を大阪府教委が知ったのは、テレビニュースだった。

 その後も府教委の混乱は続いた。立ちはだかったのは個人情報の壁。大阪府内の高校でも次々と集団感染が確認され、高槻市は感染者の性別や年齢などを公表したが、氏名はもちろん、学校名も個人情報として非公表だった。大阪府教委でさえ、どこの高校の生徒か、高槻市側から教えてもらえなかった。

 個人情報をめぐっては、学校現場も混乱した。小中学校では学校・学級閉鎖が相次いだが、児童・生徒の連絡網がなく、休校の連絡に苦慮。朝、登校して初めて学校閉鎖を知り、慌てて引き返す生徒の姿もみられた。

 修学旅行の取りやめ、授業日数不足による夏・冬休みの短縮。一番振り回されたのは子供たちだったかもしれない。みなさんの学校ではいかがでしたか。

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【風(7)新型インフル】学級閉鎖、運動会延期…遅すぎたワクチン <神戸新聞 2010/05/26>

 「2009/10初め、運動会前日に新型インフルエンザで学級閉鎖になり、運動会は直前で延期。それ以降も学級閉鎖がたびたびあって、結局開かれたのは11月初め。まだ休んでいる子も多く、プログラムも半分ぐらいになりました」。

 小学生の男の子をもつ奈良県在住の女性(44)が振り返った。この学校では9月末までほとんど感染はなかったが、一気に拡大。女性は「運動会があと1週間早かったら、みんなで一緒にできたのに」と残念がる。

 2009/05に国内感染が確認された新型インフルエンザは、夏にいったん収まったものの、2学期が始まったころから再び拡大。学校現場で懸念されたのは、子供の健康状態とともに、学級閉鎖が長引くことによる授業時間の不足だった。

 女性の息子が通う小学校の場合、学級閉鎖がいずれ起こるという前提で、授業のペースを早めていた。20分の休憩時間を10分に短縮するなど、先生たちも、見えないウイルスに追いかけられるように、急ぎ足で授業を進めざるを得なかったようだ。「おかげで宿題が増えて、息子たちはぶつぶつ言ってましたが」と、女性は苦笑いを浮かべた。

 新型インフルエンザは、子供がかかりやすい上、急性脳症などへの重症化も心配された。厚生労働省のデータによると、急性脳症と診断された患者のうち、15歳未満だけで罹患者全体の80%以上を占めた。

 一方、国が定めたワクチン接種の優先順位は、子供はそれほど早くなかった。2009/10中旬に医師に接種が行われ、11月初めに妊婦らが続いた。小学校低学年までの子供は11月中旬、高学年は12月下旬から始まった。

 子供のワクチン接種がスタートしたころには、すでに多くが感染していたことになる。「結果的に妊婦はほとんど重症化しなかったし、子供をもっと優先して接種すべきだった」と指摘する専門家は多い。

 先の女性が実感を込めて振り返る。「10月からたくさんの子供が感染してしまったし、すでにワクチンどころではありませんでした」

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【風(8)新型インフル】“パンデミック狂奏曲”は日本だけ? <MSN産経 2010/05/27>

 メキシコから流行が始まったとされる新型インフルエンザは、欧米を中心にまたたく間に世界的な広がりをみせた。日本では、マスク姿の人々が街にあふれ、休校や出勤停止が相次ぐなど深刻な影響を招いた。

 海外ではどうだったのか。欧米での状況を記した2通のメールを紹介したい。

 昨年のゴールデンウイークにドイツを旅行したという福岡市内の女性。《感染するか否かも分からないウイルスのため、キャンセルする思いはありませんでした》と予定通り渡航した。
 ドイツではすでに感染が確認されており、滞在中、心配した母親から電話がかかってくるほどだった。しかし《テレビニュースはトップで報道していたが、5分以内の報道》で、日本ほど大騒ぎになっていなかったようだ。《ただ、ドイツの空港や機内の日本人の大半はマスクをしていた》といい、日本人がかなり警戒していた様子が浮かび上がる。
 女性が1週間ぶりに帰国すると、成田空港では北米からの便を中心に検疫が行われていたが、《ドイツから帰国した私は、成田に着陸して10分後には地方便を待つ待合室にいました。機内でも特別な対応はなかった》。出発した国によって、検疫態勢が大きく異なっていたことがわかる。

 一方、アメリカ・サンフランシスコで観光ガイドをしている日本人男性(59)は、《新型インフルエンザの風評被害によって4カ月分の所得が消えました》と悲痛な心情を訴える。
 観光客は2001年のアメリカ中枢同時テロ以降、減少したままで、新型インフルエンザが追い打ちをかけた。《長期不況にある旅行業従事者にとって、再び困難な状況をもたらした。ただし、今回の騒動は事実に基づかない作り話で、風評被害を生んだことが前回(同時テロ)と異なる》と指摘する。

 男性によると、アメリカ国内の報道は通常の風邪の流行程度だったが、《日本ではまるで人類滅亡につながる重大疾病のように報道された。日本人だけは極端な反応をしていた》とつづる。

 医療体制がそれほど変わらない日本と欧米。やはり、対応は突出していたのだろうか。

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【風(9)新型インフル】自粛ムード…校長ら「苦渋の決断」 <MSN産経 2010/05/28>

 新型インフルエンザの流行で2009/05以降、小中学校では休校や学級閉鎖が相次ぐ一方、高校や大学の関係者も授業や行事の実施をめぐって頭を悩ませた。

 日本に先行して感染が広がっていたカナダに多くの生徒が留学していたという大阪府内の私立高校の校長から、当時の苦悩をつづるメールをいただいた。

 この高校では、流行前の2009/01から生徒約40人がカナダに1年間の予定で留学し、夏には約80人が短期留学することになっていた。《決断を迫られたが、ウイルスが弱毒性で、リスク以上に留学による教育効果のほうが大きい》と判断、予定通り実施した。
 秋の文化祭も変更はしなかった。《インターネットのブログ(校長だより)で文化祭決行を掲載したところ、多くの保護者から支持を得たことが心強かった。本校の判断は間違っていなかったかと思う》。校長のメールには、苦悩の末の決断に対する確信のようなものが感じられた。

 学校生活で、とりわけ子供たちの思い出になるはずの修学旅行や文化祭。中止か決行かと、多くの学校で判断に悩んだことだろう。

 京都の私立大学の男性職員からは、世間の目や報道に振り回された現場の様子を記したメールが届いた。
 《大阪や兵庫で感染者が見つかると、すぐマスコミから(休校の有無について)問い合わせの電話が入った。「休校に踏み切らない」と答えると、「ええっ?休校しないんですか」と詰め寄られ、「何かあったら責任を取れるのか」と責めたてられた》。
 当時、京都では感染が確認されておらず、行政から休校の要請はなかった。《いったいどうすれば世間やマスコミにとって合格点なのでしょう。その時の情報をもとに最良の判断をしても責められるのでしょうか》と訴えていた。

 先に紹介した私立高の校長も《(感染者を出した)高校の校長が謝罪会見を行っているのを見て、日本全体が集団パニック的な方向に向かっているのではと危惧した》。

 「何かおかしい」「でも止められない」。そんな流れが自粛ムードを加速させたのだろうか。

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【風(10)新型インフル】「ワクチン行政」医師悲鳴 だぶつく8400万回分 <MSN産経 2010/05/31>

 《ワクチン本数の割当文書、月ごとの接種状況報告書、次回の接種予定本数…。ワクチン行政はまさに煩雑そのものだった》

 昨年秋に始まった新型インフルエンザワクチン接種をめぐって、大阪市内の小児科医からこんなメールをいただいた。
 当時、ワクチンは不足が深刻化するとして、限られた数量を公平に配分するため、行政や医師会などは定期的に、各医療機関に対して必要数などの報告を求めていた。
 ワクチン接種の取材で訪ねた大阪市内の医院にも、医師会などからの通達が連日何通もファクスされていた。「通達内容が複雑で、目を通すだけでも頭が痛い。いくらワクチンを要望しても、必要数の半分も届かないだろうし」。院長がため息交じりに話していたのを思いだす。

 そのワクチンは、今や8400万回分がだぶつき、医療機関でも大量の在庫を抱えている。奈良県内のある開業医は「国の方針に沿って入荷したのに、いざ余っても引き取ってくれないのは納得できない」と困惑。「国への不信感をつのらせる医師は多く、将来、新たなインフルエンザが流行しても、医師が全面的に協力しない事態もあるのではないか」と危惧する。

 昨年秋以降、各医療機関ではワクチン接種や感染患者の診察に忙殺された。先ほどの小児科医も《接種希望者が殺到し、日常の診療も差し支えるほどだった。全く振り回された》と記していた。
 感染者の急増で病院は診察を待つ患者であふれ、他の病気にかかっても、なかなか診察してもらえないケースもあったようだ。

 46歳の女性から届いたメールには《体調を崩して高熱が出た。自分で車を運転して医療機関にやっとの思いでたどりついたが、待ち時間の長いこと。待合室の長椅子で横になれるスペースがあってよかったですが…》と記し、《具合が悪いので病院に行ったが、深く傷ついた》と苦い経験をつづっていた。

 新型インフルエンザの急激な感染拡大は、医師にも、患者にもさまざまな後遺症を残した。

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【風(11)新型インフル】修学旅行、出発の朝に突然中止 <MSN産経 2010/06/07>

 待ちに待った修学旅行が、学校へ行ってみるといきなり中止に。通常ではあり得ないような光景が、新型インフルエンザが猛威をふるった2009年、各地の小中学校などでみられた。

 《朝5時に学校に集合なので、家族全員4時に起きて息子を送り出した。ほっとしたのもつかの間、1時間後には息子が帰宅。かける言葉もありませんでした》
 2泊3日で沖縄へ修学旅行に行くはずだった中学3年(当時)の息子をもつ大阪府内の保護者から、何ともやりきれないメールが届いた。中止の連絡は学校からまったくなく、そのまま1週間の休校になった。
 その日の午後、先生が事情説明と休校中の課題を配布するため各生徒宅を訪問。《そのときは行き場のない怒りをぶつけてしまった》というが、《先生はその後も時々様子をのぞいてくれた。頭の下がる思いでした》と感謝の言葉が記されていた。

 高校生の息子がいるという大阪の女性は《早朝に休校の連絡がメールであり、その間の課題が郵便で送られてきた。体調についての照会も電話で2、3回あった》。休校による授業時間不足を補うため、2学期の始業式が数日繰り上がったそうだ。
 この女性には小学生の娘もいて、2009年夏の林間学校で感染が拡大。《学校では事前に児童の体調をチェックしたものの、現地で児童たちが発熱を訴え、タクシーなどで病院に行って受診した》。
 結局、女性の2人の子供も新型インフルエンザのような症状に。治療薬・タミフルについて、10代での服用は異常行動につながるとの指摘もあったことから、《(息子や娘が)ベランダから飛び降りられてはと、サッシやドアに音の出るものをつけました》と、苦心した様子をつづっていた。

 一方、50歳の女性からは《2009/11、高校3年の娘が発病した。不謹慎ですが、受験前にかかってくれてよかった》とのメールも。「風」に寄せられるお便りの多くに、わが子を心配する親の心情がつづられていた。

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【風(12完)新型インフル】1年…決して過去のことではない <MSN産経 2010/06/09>

 《本当に忘れてしまいたいほどの苦痛を体験しました》。アメリカ在住の主婦は2009年、家族で日本に里帰りした際、子供が機内で新型インフルエンザに感染し、日本では個人が特定できるような報道をされた。
 《なぜ感染した人が悪いように言われないといけないのか》。子供は日本滞在中、小学校に体験入学する予定だったが、治癒後もなかなか受け入れてもらえなかった。《「いつから学校に行けるの」と楽しみにしていたのに》。体験入学は日程を短縮して実施され、女性は《帰国後、クラスの子供からすてきなお礼の手紙をもらったことはうれしかった》と振り返る。

 報道も含めた社会の反応は過剰だったのだろうか。

 兵庫県内の男性(30)は《防疫に、やりすぎや過剰はない》と提起し、《「大したウイルスじゃないのに」というのは結果論》と指摘する。男性の妻は2009年、妊娠中で、感染すれば母体や胎児に悪影響を及ぼしかねず、《妻に感染させないよう家族でマスクを着用した》。

 今回のウイルスは弱毒性といわれながら、厚生労働省によると全国で約200人が死亡し、1500人以上が重症化した。
 岡部信彦(国立感染症研究所情報センター長)は「大騒ぎというが、ウイルスの病原性が高いか低いかがはっきりしないうちは、警戒のためにはやむを得ない」とし、「感染が終息したという人もいるが、現在は小康状態と考えられる。今のうちに防疫態勢を整えるべき。決して過去のことではない」と強調する。

 新型インフルエンザをテーマとした今回の「風」。初の感染確認から1年がたち、社会の関心は薄れたのではないかと思っていたが、高熱を出したわが子を気遣う親の心情など、切実なお便りを数々いただき、人々の心の中ではまだまだ終息していないのだと感じた。

 冒頭に紹介した女性は《報道しているのは情報ではなく、血の通った「人」であることを忘れないでください》ともつづっていた。自戒の意味も込め、新型インフルエンザに限らず、すべての取材に対して心に刻むべき言葉だと思った。
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