Sclaps KOBE
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震災で全焼の宝石店 父の遺志継ぎ 新長田に再出店 <神戸新聞 2010/03/11>を添削
阪神・淡路大震災で神戸市長田区・大正筋商店街の本店が全焼した宝石店「フクヤ」が2010/03/12、15年ぶりに神戸市長田区に再出店する。先代社長の生前の願いを息子2人が実現。耐火金庫の中の宝石も大半が灰になったが一部のダイヤは変色して残った。開店セールでは、震災をくぐり抜けた宝石をお守りとしてプレゼント。煙にいぶされたプラチナの指輪なども展示する。
現社長の山中啓良さん(38)の祖父が戦後始めた眼鏡店から父の山中康正さんが独立し、1966(昭41)年に創業。西宮に2号店を出した3カ月後、震災に遭った。木造2階建ての本店は倒壊し、周囲は火の海に。高額商品を納めた大型耐火金庫に近づけたのは数日後だった。「まだ手で持てないほど熱く、こじ開けるとダイヤが黒こげになっていた」と次男で常務の山中邦裕さん(36)。2億円分の宝石が灰に。残ったダイヤも茶色や白濁色に変色したが、それ以上に近隣住民が大勢亡くなったことがつらかった。康正さんらは「宝石を買う余裕がある人などいない」と本店再建をあきらめ、三宮などに出店した。現在は「グラヴィ」などの店名で計16店舗を展開する。
その後も康正さんは常々「いつか新長田に帰ろう」と話したが、3年前に63歳で死去。兄弟2人で引き継いだ会社に、JR新長田駅前の商業ビル「ジョイプラザ」2階専門店街の改装に伴い、出店の声が掛かった。
邦裕さんは「宝石の輝きでも人を元気付けたい」と「グラヴィ」の出店を決めた。「父と一緒に創業の地に戻れなかったのは残念だが、地元の常連さんが待ってくれている」と張り切っている。
2010/03/12は専門店街が午前10時にリニューアルオープン。買上げ客に、焼け残った小粒宝石をスプーンのすくい取りでプレゼントする(無くなり次第終了)。
阪神・淡路大震災で神戸市長田区・大正筋商店街の本店が全焼した宝石店「フクヤ」が2010/03/12、15年ぶりに神戸市長田区に再出店する。先代社長の生前の願いを息子2人が実現。耐火金庫の中の宝石も大半が灰になったが一部のダイヤは変色して残った。開店セールでは、震災をくぐり抜けた宝石をお守りとしてプレゼント。煙にいぶされたプラチナの指輪なども展示する。
現社長の山中啓良さん(38)の祖父が戦後始めた眼鏡店から父の山中康正さんが独立し、1966(昭41)年に創業。西宮に2号店を出した3カ月後、震災に遭った。木造2階建ての本店は倒壊し、周囲は火の海に。高額商品を納めた大型耐火金庫に近づけたのは数日後だった。「まだ手で持てないほど熱く、こじ開けるとダイヤが黒こげになっていた」と次男で常務の山中邦裕さん(36)。2億円分の宝石が灰に。残ったダイヤも茶色や白濁色に変色したが、それ以上に近隣住民が大勢亡くなったことがつらかった。康正さんらは「宝石を買う余裕がある人などいない」と本店再建をあきらめ、三宮などに出店した。現在は「グラヴィ」などの店名で計16店舗を展開する。
その後も康正さんは常々「いつか新長田に帰ろう」と話したが、3年前に63歳で死去。兄弟2人で引き継いだ会社に、JR新長田駅前の商業ビル「ジョイプラザ」2階専門店街の改装に伴い、出店の声が掛かった。
邦裕さんは「宝石の輝きでも人を元気付けたい」と「グラヴィ」の出店を決めた。「父と一緒に創業の地に戻れなかったのは残念だが、地元の常連さんが待ってくれている」と張り切っている。
2010/03/12は専門店街が午前10時にリニューアルオープン。買上げ客に、焼け残った小粒宝石をスプーンのすくい取りでプレゼントする(無くなり次第終了)。
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